ひびめも

日々のメモです

先天性失音楽の神経生物学

Neurobiology of congenital amusia.
Trends in cognitive sciences 20.11 (2016): 857-867.
Peretz, Isabelle.

 

先天性失音楽、いわゆる音痴の神経生物学。

 

0. 用語集
アウェアネス: 感覚的事象を意識的に知覚、感受、経験する能力のこと。
ボトムアップ感覚情報: 感覚として取り入れられて一次感覚野に投射され、さらに前向性結合を介して二次的な高次連合皮質を駆動する外的情報。
先天性相貌失認: 脳損傷や感覚障害によらない重度の相貌認知障害
ディスレクシア: 読字の発達障害。正常な知能とモチベーションがあり、問題なく学校に通っているにも関わらず、予想外に読字技能の習得に障害があることによって特徴づけられる。ディスレクシアの最もよく理解されている原因は、聴覚性言語に対する音韻性アウェアネスの弱さである。
カプセル化: 高次のレベルからその処理システムにアクセスできないこと。
早期右前部陰性反応 (Early right anterior negativity, ERAN): MMNを参照。
キー: 特定の音楽を構成する5から7個のピッチのグループ。
Mismatch negativity (MMN): MMNとERANは、どちらも特定のイベントにタイムロックされて生じる頭蓋導出脳波の陰性電位のことで、複数試行にわたって平均化されるものである。イベント発生から200 msにピークを持ち、イベントに対して反応する電気活動の変化を反映する。トポグラフィック頭蓋地図の中で側頭部と前頭部に最大強度を持つ。こうした陰性脳反応は、考えられている変化の種類に依存してMMNまたはERANと呼ばれる。典型的には、変化が注意を惹起する際に、300-600 msの間に後頭領域の後期陽性ピーク (P600) を伴う。
調性: キーの中のピッチの階層構造のこと。
トップダウン予測的符号化: ボトムアップ入力は、解剖学的/機能的階層内の高次脳領域からトップダウン予測を受け取る。予測は、感覚入力を規則性に関する内的知識と調和させようとするものである。正常な皮質領域の機能は、これらの2つの入力源を統合することにある。

 

1. なぜ先天性失音楽を研究するのか?
音楽との関わりはありふれたものであり、人生の早期の段階から発生する。新生児は、音楽の調性キー (tonal key) の変化や拍子の崩れなど、音楽のピッチ的および時間的構造の抽象的特性に反応を示す。乳児は音楽に対して自発的に動作的反応を示し、音楽に同調した動きがみられるときには向社会的行動も増強される。音楽との関わりは社会的相互作用に深く根差しており、高度に快楽的なものである。音楽の魅力は、ほぼすべての人の人生で、生涯を通して記憶される。このような背景の中で、音楽に対する感性が欠如した人がいるというのは戸惑いを生む事実であり、その原因を明らかにする必要がある。
このような異常が、言語習得の遅れや知的障害、後天的脳損傷、音楽的経験の不足など、他の原因からは独立して生じるというのは興味深いことである。今回フォーカスをあてる先天性失音楽の最も一般的な形態は、音楽のピッチ構造の処理に関係するものである (Box1)。失音楽のある個人 (失音楽者と呼ぶことにする) は、日常生活において言語やプロソディを正常に理解している。彼らは声で人物を認識できる上、動物の声などあらゆる環境音を識別できる。彼らを行動学的に特徴づけているのは、音程の外れた歌を検出できないこと (これは彼ら自身が安定を外してしまうということも含む) である。一方で彼らは、歌詞がなくても馴染みのある楽曲を認識することはできるし、記憶の中で短い楽曲を保持することもできる。この種の生涯にわたる音楽障害は「先天性」のものと呼ばれるが、これはエチオロジーではなく、あくまで時間的特性を定義したものにすぎない。しかしながら、最近の研究によって、この疾患の神経生物学的エチオロジーに関する大きな進歩が生まれた。
下で述べるように、先天性失音楽は、機能的および構造的結合性に影響を与える神経異常を特徴とする。同時にこれは、遺伝性のあるものである (Box 2)。このため先天性失音楽は、遺伝子、脳、行動の間の因果関係を追跡することで音楽の認知神経生物学を研究することができる稀な機会を提供している。この論理は本質的にはリバースエンジニアリングの一種である。したがって、行動学的レベルで観察された異常を、認知的プロセス、さらに神経生理学的プロセス、究極的には遺伝子および環境に至るまで追跡することができる。本文献では、失音楽として生まれた患者に関する詳細な研究を介して明らかにされた、音楽の神経生物学的基盤に関して現在わかっていることを振り返る。
この領域における進歩は特筆すべきものであり、一般的な認知的疾患の発症に関してもさらなる洞察を提供する。実際に、先天性失音楽はその他の神経発達障害、たとえば先天性相貌失認や発達性ディスレクシア、とも類似性を有している。先天性失音楽と同様に、これらの障害は、感覚や知的機能は正常であり、関連する技能を習得する機会も十分に与えられているにもかかわらず、特定の認知ドメインに影響が現れる (それぞれ相貌認知と読字) 。同様に、これらの障害は遺伝性があり、以下で述べるように神経結合性の観点から説明可能である。こうした類似性は、比較的遠隔に位置する専門的皮質領域の共同活動が、ヒトの認知における神経生物学的原則であることを支持する。

 

Box 1. 先天性失音楽の有病率
先天性失音楽は、音楽のピッチを正常に知覚および産生することが全くできないマイノリティを指す。自己申告ではなく客観的聴覚的検査を用いた最近の最大規模のサーベイ (15,000人以上の被験者) によれば、先天性失音楽は人口の1.5%に見られ、男女差はないことが判明した。
この有病率を計算するにあたって、我々は失音楽の診断に最も幅広く使われているツールである Montreal Battery of Evalutation of Amusia (MBEA) の保守的な基準を用いた。我々は、2つの個別の検査 (Scale検査とOff-key検査) で異常なスコア (平均の-2SD以下) を呈した際に被験者を失音楽とみなした。Scale検査は30ペアの旋律の中でキーから外れた音がないかを判断するもので、Off-key検査は同一旋律の中でどの音がキーから外れているかを判断するものであるため、どちらも調性に関する知識へのアクセスを必要とするが、Scale検査はさらに旋律を記憶の中に保持することを求める。したがって、それぞれの検査における異常なスコアは旋律キーの違反を検知することの本質的障害を支持するものであり、この疾患の行動学的特性を意味する。対照的に、Off-key検査とOff-beat検査は同じタスクを行うものの測定する音楽次元が異なっている (ピッチと時間)。したがって、コントロールとなるOff-beatタスクで正常なスコアであることは、注意や動機に関連した障害を除外できる。より軽度 (だが広範な) 基準、すなわちScale検査の異常値のみを用いて先天性失音楽を同定すると、その有病率は4.2%に上昇する。
先天性失音楽の有病率は統計学的に決定されるもので、すなわち相対的である。この有用性は、注意、教育、音学経験などの交絡因子なくして大規模な集団内での成績を反映できるところにある。音学能力は連続的分布であるため、古典的な医学的および心理学的概念にあるような離散的診断カテゴリとは異なる点に注意が必要である。ほとんどの認知能力は人口内で連続的に分布しており、たとえばディスレクシアは、年齢またはIQと比較したときの読字能力の連続的分布のローエンドに対応する。したがって、離散的閾値を設定することはいくらか恣意的となり、研究グループによる違いを生み出す。幸運なことに、現在の研究はMBEAおよび類似した基準を使用しているため、この分野におけるデータの均質性と収束性は現状極めて高いと言って良い。

 

Box 2. なぜ先天性失音楽の背景にある遺伝子バリアントを検索するのか?
音楽のピッチ構造を聴いて楽しむなどの基本的音学能力は、根本的な人類の特性として細かく研究されてきている。分子テクノロジーの進歩は、その能力に関係する遺伝的因子を検索することを可能にした。音楽能力の遺伝的相関を検索することは興味を集めているが、言語などの他の認知ドメインにおける研究と比較すると未だ遅れている。言語ドメインでは、言語障害の研究によって、FOXP2などの言語の基盤となる遺伝子が同定された。同様に、先天性失音楽の研究も、音楽の主要な神経生物学的経路を明らかにするための新たなエントリーポイントを提供する可能性がある。
音楽ピッチの障害が表現型-遺伝子型相関の良い標的となりうるという考え方のエビデンスは、失音楽が家族性に凝集しているという我々の研究や、別の双子研究から来ている。家系研究では、失音楽家系の1親等親族の39%で音楽ピッチ障害がみられた一方で、コントロール家系ではたった3%しか見られなかったことが報告された。この失音楽の発生率は、言語障害の遺伝性と同程度のものである。先天性失音楽の背景にある遺伝子変異を検索するにあたり、他の検査と比較して遺伝的因子による影響を最も強く受けるのはMBEAのScale検査 (Box 1) であることが最近の双子研究で判明している。同様に、より早期の双子研究では、有名な旋律の異常なピッチの検出において、一卵性双生児は二卵性双生児と比較して、より類似した成績を示した。遺伝的モデルフィッティングからは、遺伝子の共有は環境の共有よりも重要で、70-80%の遺伝性を持つことが示された。失音楽脳で観察される皮質異常は、先天性失音楽につながる遺伝子変異を介したイベントの連鎖を理解するための重要なリンクを提供する。もしかすると、前頭側頭線維を決定する遺伝子に絞った探索が有効なのかもしれない。遺伝子は行動または認知機能を特定するのではなく、ゲノムに組み込まれた皮質ニューロンの移動を特定する。遺伝子は、ニューロンの増殖や移動、プログラムされた細胞死、軸索経路、結合形成などのプロセスに影響を与えて脳の発達に影響する。このため、ニューロンの移動や誘導に関与する遺伝子は、先天性失音楽をきたす遺伝子の良い候補である。こうした遺伝子範囲の積極的検索は、現在進行中である。

 

2. 音楽のピッチが鍵である
ピッチの処理の障害は、先天性失音楽で観察される音楽障害の中心である。失音楽者は二半音よりも小さいピッチ変化の検出ができない。典型的音楽のピッチ変化はしばしばこの閾値より小さいことから、失音楽者は音楽構造の重要な部分をとらえることができない。より特筆すべきなのは、失音楽者は西洋音楽のピッチ規則性を違反する「誤った音」を検出することができない。音楽のピッチ障害は、この障害の明瞭な行動学的特性であり、診断目的 (Box 1) と神経遺伝研究における表現型 (Box 2) の両方で用いられる。
音楽のピッチ障害は言語の障害とは比較的独立して現れる。このような解離は、言語音声に対する音楽の重要な特徴を定義するのに役立つ。実際、ピッチの処理は音楽と言語音声では根本的に異なるようだ。とはいえ、これは単に、音楽のピッチ構造が音声のイントネーションよりもはるかに細かいピッチ間隔を使用しているという事実を反映しているのかもしれない。微細な音響的ピッチ処理に障害がある場合、音楽的ピッチ処理は障害されるが、言語音声処理は保たれる可能性がある。実際、失音楽者もまた、語彙トーンやピッチ操作されたフランス語の音節など、微妙なピッチ変動の処理に障害を示している。このような観察結果は、音楽のモジュール性に関する議論に拍車をかけている。
この障害のドメイン特異性を評価するために、我々は最近、先天性失音楽に関する42個の研究のメタアナリシスを行った。その結果、刺激が音調で構成されているか音声で構成されているかにかかわらず、ピッチの変化の大きさが成績の最大の決定要因であることがわかった。この結果は、正常に機能する音楽システムを発達させるためには、ピッチのきめ細かな処理がいかに重要であるかを裏付けている。また、ピッチ障害のドメイン特異性を否定する論拠にもなっている。しかし、ピッチの精密な処理は、通常、言語音声には必要とされないため、音楽に特化していると言えるのかもしれない。
音楽と言語音声の違いは、自然な言語音声サンプルのピッチ音程の大きさを50%変化させ (拡大または縮小)、同様の言語内容の歌に同じ操作を加えてその効果を比較することで容易に証明できる。言語音声はどのような条件でもかなり自然に聞こえるのに対し、歌はピッチを変化させると明らかに調子が狂ってしまう。同じ現象は、話し言葉の文章が繰り返されると、あたかも歌われているかのように知覚されるという現象 (歌化錯覚) でも報告されている。聞き手は、同じ文章が話し言葉として知覚されるよりも、歌われたように知覚される場合の方が、細かい音程の変化を検出するのに優れている。このように、小さな音程の変化を検出できない知覚システムは、必然的に音楽構造の本質的な部分を見逃すことになるが、音声の本質的な部分は見逃さない。

 

3. わかっているのに気づかない
ピッチ処理の障害は目に見える症状であるが、障害の根底にある機能的問題ではない。先天性失音楽の中核的障害は処理されたピッチ変位への意識的アクセスの欠如にある。失音楽脳は、正常な個人のように、わずかなピッチの変化を追跡し記録することができるが、こうした計算の結果が意識に上らないのである。この解離、または切断は、失音楽者における音楽の知覚と産生の両方で、記憶表現を音響的に解析したときの処理で観察されるものである。
失音楽脳は、繰り返された標準トーンから1/8音 (25セント) 離れたトーンに対して、その変化を報告できないものの、正常なMMNを呈する。その上、正常であればMMNのあとに続くはずの陽性波 (P300/P600; 意識的検出と関連する) は認められない。このような音響学的文脈におけるアウェアネスを伴わない知覚という発見は、失音楽者が旋律文脈でERANと呼ぶべき正常な陰性脳反応を呈したという先行研究と合致するものである。こうした早期の正常陰性電気的脳反応 (MMN, ERAN) は、失音楽者が純粋トーンの旋律様パターン (連続するトーンが0-2半音程異なる) を聴く時の fMRI BOLD 反応と合致する。失音楽者と正常被験者は、ピッチ距離 (25セントも含む) が増加するほど、両側の聴覚皮質でそのピッチ距離の関数として正の線形 BOLD 反応を示す。まとめると、失音楽脳ではわずかな音楽ピッチ変化を追跡し表現することができるというエビデンスが存在する。欠けているのは、こうしたピッチ表現にアクセスして意識的報告を行う能力である。

図1. わかっているのに気づかない: (A) 実験パラダイム。同じ旋律が、2つのタスクでモニターされた。ピッチ検出タスク (左側の灰色のゾーン) では、in-key、1半音 out-of-key (+100セント)、または1/2半音 out-of-key (+50セント; out-of-tune) のいずれかの「間違った」ピッチを検出するよう求められた。クリック検出タスク (右側のゾーン) では、目標音の後に発生するクリックの有無を検出した。クリックの大きさは、75%の正解率になるように連続的に個別に調整された。参加者は、ピッチ検出タスクでは間違った音があるかどうかを、クリック検出タスクではクリックがあるかどうかを検出するよう求められた。後者のタスクは、ピッチ違反の存在に無意識に注意を向けることを避けるため、常にピッチ検出タスクの前に行われた。(B) 行動反応。コントロールと失音楽者のピッチ検出 (グレーゾーン) とクリック検出の精度 (ヒット率-誤答率) をピッチ種類の関数として示したもの。エラーバーはSEMを表す。ピッチ違反は失音楽者では偶然以上にほとんど検出されないが、クリック検出の成績には支障をきたすため、アウェアネスを伴わないピッチ違反に対する感受性のエビデンスを示している。(C) 脳の電気的反応。ピッチ検出タスク (灰色ゾーン) およびクリック検出タスク中のコントロール (青) および失音楽者 (赤) の差分波 (ピッチ違反-インキー) を示す。後者 (右ゾーン) では、失音楽者は右前頭領域 (FC6) で正常な早期陰性反応 (ERAN) を示す。対照的に、失音楽者の脳反応は、ピッチ違反の意識的検出と関連する、後方領域 (Pz) における正常で典型的な陽性反応 (P600) を示さない。略語: ERAN; early right anterior negativity; FA, false alarms; H, hits。

アウェアネスの欠如は、ピッチ変化への不注意や応答不良によっては説明できない。なぜならば、失音楽者であっても、大きなピッチ変化は少なくとも音響シークエンス (反復トーン) では正しく検出され、正常なP300反応を生成するからである。さらに、調性の知識は、注意が慎重に制御されれば先天性失音楽でも証明されうるからである。最近我々は、個々の閾値近傍に調節されたクリック音を検出するように旋律をモニターさせた時の電気的脳反応を記録した (図1)。半分の旋律では、音楽の調性ルールを違反した音を挿入したが、被験者はこれを無視するように指示された。2つ目のタスクでは、被験者は同じ旋律を提示され、今度は調性ピッチの違反を検出するように求められた。どちらのタスクも注意の維持を必要とするが、2つ目のみが音楽のピッチ知識への意識的アクセスを必要とする。クリック検出タスクでは、ピッチ変化は失音楽者とコントロールの両方でERANを誘発した。興味深いことに、失音楽者はミスチューニングされた音を偶然以上には検出することができなかったにもかかわらず、調違反の存在は、失音楽者とコントロールのクリック検出精度を同様に妨害した。したがって、ミスチューニングされた音による妨害は、auditory attentional blink のように、意識することなく起こるのである。対照的に、ピッチ検出課題では、ピッチのずれはERANとP600の両方を誘発したが、コントロール群のみであった。これらの結果を総合すると、調性音楽のピッチ規則性は、意識的な報告につながることはないが、失音楽者の聴覚皮質で登録され、予測されることがわかる。
調性ピッチ構造は、普通は曝露によって暗黙的に学習される。一部の失音楽者は意図的に音楽を避けるものの、多くは音楽を聴くため、音楽と接する機会が制限されているとは言えない。逆に、一部の者は普通の人々と同じように音楽に深く関わり、楽しんでいる (Box 3)。このため、早期からの日常的な音楽への曝露は、失音楽における調性知識の暗黙的な獲得を説明できるのかもしれない。この知識は、しばしば歌唱において表現される。大部分の失音楽者は Happy Birthday などの有名曲を音程を外して歌ってしまうが、ごく稀な一部の失音楽者 (客観的音楽知覚能力の検査で診断された者) は正しい音で歌うことができ、しかもそれに気づいていない。
音楽以外の文脈でも、歌のピッチの正確な表現と同様の事象は観察されている。精力的な研究では、先天性失音楽者がピッチ変化の方向を偶然レベルでしか報告できないにも関わらずその変化を再現できることが報告されている。失音楽者は自身の声をボーカルフィードバックに対して調整することができ、突然の小さなピッチのシフトに対しても反応することができる。小さいシフトに対する反応は、その変化を検出する能力よりも、歌唱ピッチの精度によって予測された。小さいピッチ変化を意識的に知覚することができないのに歌唱ピッチを生成しモニタすることができるという解離は、知覚と生成の特異なフィードバックループを指示している。
このような解離は同時に、知覚と動作が「分断」可能であることを示唆している。すなわち、知覚と産生はピッチの共通表現に依存するわけではない可能性がある。他にも、ピッチの知覚と産生は同じ経路に依存するものの、意識的アクセスの需要という点で異なる可能性がある。こうした異なる仮説を行動学的実験を用いて紐解くことは難しく、神経-機能的研究について考察する必要があるだろう。これについては次章で取り扱う。

 

Box 3. 失音楽における音楽的感情: アンヘドニアから音楽嗜好症 (Musicophilia) まで
誰もが音楽を聴くのは、音楽が感情を表現し、その情動的状態を制御することができるからである。そのような感情的訴えは、音楽のピッチ構造を生涯にわたって処理することができない個人にとっては意味がないものなのかもしれない。それでも我々は、ほとんどの失音楽者が音楽から基本的感情を知覚する能力を維持していることを発見した。予想されたように、コントロールとは違い失音楽者の判断はピッチの微妙な違い、たとえば旋法の意図的な変化 (minor から major など) には影響されなかった。その代わりに、失音楽者はパルスの明瞭さや、ざらつきなどの音色の違いに対して正常な感度を示す。さらに、楽しい音楽と悲しい音楽を区別するための、キーの明瞭度や大きな平均ピッチ差にも敏感である。このように、失音楽者が経験するピッチ知覚の障害は、感情的判断には軽い影響しか及ぼさない。
したがって、通常のリスナーと同じニュアンスを理解できなくても、失音楽者は音楽を聴くことができる。それにもかかわらず、一部の人は積極的に音楽を避け、逆に少数の人は熱心に音楽を聴き、そしてほとんどの失音楽者は音楽に無関心である。さらに、音楽に対する関心の違いは、障害の重症度とは無関係である。同様に、人口の約2%は、音楽から感情を正常に知覚できるにもかかわらず、音楽から特別な喜びを得ることができない。音楽アンヘドニアと呼ばれるこの快感の欠如は音楽に限定され、おそらく音楽家や作曲家の感情的意図を知覚することと、実際の感情を経験することの間の断絶を反映している。正常な聴者は、音楽に対して同じ感情を知覚し、感受できるのが普通である 。
先天性失音楽者では、聴覚野と大脳辺縁系領域との相互作用が変化しているため、前頭側頭葉の結合がうまくいっていない可能性がある。実際、正常な聴者では、IFGとSTGの両方が、報酬系 (側坐核) との結合が、報酬性の高い音楽の処理中に増加している。さらに、音楽に対する異常な渇望である音楽嗜好症を示す認知症患者では、同じ前頭側頭ネットワーク内の灰白質領域が相対的に保たれている。したがって、前頭側頭ネットワークに影響を及ぼす先天性異常が、大脳辺縁系報酬系との相互作用も損なう可能性がある。

 

4. 右前頭側頭ネットワークにおける反復処理の異常
失音楽脳は、下前頭回 (IFG; BA 44/45/47) と聴覚皮質 (STG; BA 22) を含む右前頭側頭ネットワークにおける神経異常を呈し、これら2つの中核領域や左聴覚皮質の間の情報のやりとりが障害される (図2)。コントロール脳と比較して、失音楽脳は右IFGの白質密度の低下と灰白質密度の上昇、右聴覚皮質の灰白質密度低下、右弓状束 (聴覚皮質とIFGを結ぶ主要な線維路) の体積減少を示す。この構造的ネットワークでは機能的変化も報告されており、IFGと右聴覚皮質の間の結合性の低下と左右の聴覚皮質の結合性の上昇がみられる。こうした神経異常は、右IFGと右聴覚皮質の間の反復処理の異常が先天性失音楽の発現の原因となっている可能性を示している。

図2. 右前頭側頭ネットワークの反復処理の異常: 正常脳と比較したときの失音楽脳における左右のSTGと右IFGの機能的結合性および構造的結合性の異常を示したシェーマ (左パネル) と解剖学的表現 (右パネル)。現在のエビデンスは、蝸牛からSTG (一次聴覚皮質A1を含む) に至るまでの他のすべての結合は正常であることを示唆している。IFGとSTGの間のフィードバック制御が乏しいことによる反復処理の変化は、点線で表現されている。

IFGとSTG間の反復処理の異常は、これらの中核領域間のピッチ情報の伝達の変化 (図2に示されるように) か、中核領域に内在する機能障害のどちらかに起因する可能性がある。現在のところ、伝達の異常を示すエビデンスは存在する。実際、これまでに用いられたすべての神経画像法 (EEG、MEG、fMRI) は、先天性失音楽における聴覚皮質のピッチに対する感度が正常であることを明らかにしている。現在までのところ、報告されている聴覚皮質の機能異常はすべて、IFGからの伝達の変化に起因している。さらに、ピッチに対するワーキングメモリーへの寄与から、この部位の機能障害の可能性はあるものの、IFGの活動に異常があることを示すエビデンスはまだ発表されていない。
ボトムアップ感覚情報は、失音楽脳でも正常に一次聴覚皮質 (図2のA1) に到達する。蝸牛のレベルでは異常はなく、中脳のレベルでも異常はない。さらにA1では、和音に対するピッチ反応領域は、ピッチ知覚にかなりの障害がある失音楽者でも、マッチさせた対照者の領域と、範囲、選択性、解剖学的位置において同等であることが判明している。このように、聴覚入力はSTGに正常に届いているようである。異常と思われるのは、IFGからSTGへのトップダウン・フィードバックである。実際、IFGの役割は、STGにおける聴覚処理を増幅し、洗練させることである。認知的増幅は、意識や予測的符号化の重要な側面である。
失音楽におけるトップダウン・フィードバックの異常は、おそらく幼少期の発声時に起こる。実際、フィードバック系は、発声の誤りをモニタし、調整する上で重要な役割を果たしている。ピッチのための声帯の微細運動制御は、構音器の微細運動制御が発声に重要であるのと同じように、歌唱に重要である可能性がある。後者には主に左前頭側頭ネットワークが使用されるのに対し、前者はピッチのフィードバック制御のために右前頭側頭経路が使用される。それぞれの大脳半球には、フィードフォワード系とフィードバック系の2つの経路がある (図2)。歌唱では、右のフィードフォワード経路が、IFGから後方のSTGに運動命令の内部コピー (効果コピー) を伝達し、運動動作と意図的音声生成との間の順方向および逆方向の対応付けの基礎を提供する。フィードバック系は発声ピッチのフィードフォワード制御と結合しており、運動予測と入力される感覚フィードバックとのミスマッチをモニタし調整することにより、発声意図を誘導する。最初は、フィードフォワード経路は、フィードバック系よりも自発的な制御に依存しない、粗く、速く、模倣に基づく経路を使ってピッチを制御する。学習が成功すると、フィードフォワード系は、フィードバック補正に関連する、より微調整された予測を統合するようになる。この微調整は、タスクの要求や音楽の専門知識によって異なる。失音楽の場合、IFGとSTG間の反復ループの微調整は基本的に行われない。
失音楽におけるフィードバック制御系の変化は、失音楽者が音楽のピッチ精度を判断してワーキングメモリに保持できないことを説明できる。しかしながら、フィードバック制御の失敗は、失音楽者が調性ピッチ構造の抽象的特性を学習できることを説明できない。この暗黙的な階調知識と意識的アクセスの障害の解離は、右STGが適切なフィードバックの欠如によってカプセル化されているためと考えれば説明可能かもしれない。言い換えれば、失音楽者の右STGは、高次皮質領域からのトップダウン支配を受けずとも、聴覚的入力の統計学的特性を計算できるのかもしれない。よって、完全に機能的な音楽システムを発達させるためには、信頼できるピッチのフィードバック制御系においてこうしたトップダウン情報を保持し利用できることが重要なのかもしれない。

 

5. 認知的学習障害: 共通の基盤があるのか?
先天性失音楽を、STGにおける正常な聴覚知覚系とIFGとのフィードバック相互作用の障害の間にある結合性障害として特徴づける現在の分類は、他の先天性疾患ともよく類似している。正常な相貌認知の発達の障害 (i.e. 先天性相貌失認) や、正常な独自能力の獲得の障害 (i.e. ディスレクシア; 音韻性アウェアネス障害とも呼ばれる) は、既存のドメイン特異的知識への意識的アクセスの障害であり、中核的知覚システムと前頭皮質の間の結合性の変化の観点で説明可能である。
より具体的には、相貌失認者の脳は、中核的な腹側後頭側頭皮質 (fusiform face area, FFA) を側頭葉前部および前頭皮質に結合する白質経路の密度低下を示す。さらに、相貌失認者の大部分は、右FFAにおいて正常な相貌選択性を示す。したがって、障害は右FFAの機能障害によって生じるわけではなく、その他の皮質領域との結合性の低下から生じていると思われる (ただし相貌構成の神経表現の異常も報告されている)。
ディスレクシアの成人では、fMRI の MVPA (multivoxel pattern analysis) で中核領域であるSTGにおける音声表現は頑強性と個別性の観点で正常に保たれているが、左のIFGおよび右の一次聴覚皮質との機能的結合性が低下している。これは、左の弓状束で観察される構造的結合性の低下と合致しており、ディスレクシアではSTGにおける正常な音声表現にアクセスできないことを示唆している。同様に、ディスレクシアの子供が聴覚性音韻アウェアネスタスクを行っている際にも、STGは正常に活動しているが、前頭前野の活動が低下している。
3つの認知的疾患 (先天性失音楽、先天性相貌失認、ディスレクシア) を、知覚皮質と前頭皮質の間の結合性の異常として特徴づけることは、高度に具体的で複雑な知識を学習するためには皮質-皮質回路の統合が重要であることを証明している。これらの障害の類似性は、多くの複雑な認知的タスクが遠隔皮質領域を結びつける分散型ネットワークをリクルートすること、またこうした回路のノードを分断してしまうような発達段階の変化が重度の選択的認知的障害を生じさせうることを確認させるものである。
神経発達障害を区別するのではなく、それらを包括的なカテゴリーにまとめ、共通の基礎的障害のバリアントとして扱う方が理にかなっているのではないかと考える人もいるかもしれない。しかし、もしそのような共通の障害があるとすれば、これらの3つの障害 (相貌失認、ディスレクシア、失音楽) は併発するはずである。現在までのところ、これら3つが併発しているというエビデンスはないが、ディスレクシアでは音楽に対するワーキングメモリに異常があることが示唆されている。したがって、遺伝子変異がディスレクシアと共有されている可能性がある。また、ディスレクシア (少なくとも3つの感受性遺伝子が同定されている)、相貌失認 (遺伝子変異はまだ同定されていない)、先天性失音楽 (Box 2) のリスクに関連する染色体領域に重複が見られる可能性はある。とはいえ、現在のエビデンスでは、この3つの神経発達障害を単一の疾患として扱うことには反対である。したがって、先天性障害の間に観察された共通点は、ヒトの脳で学習がどのように作用するかという一般的かつ基本的な原則の一例とみなすことができる。先行研究は、比較的狭い神経空間において機能が専門化するという仮定に導かれてきた。先天性障害に関する最近の研究は、学習に関する研究を、脳ネットワークレベルでの機能的特化という観点から捉え直す必要性を強調している。

6. まとめと将来的な方向付け
先天性失音楽の研究は、右半球の神経ネットワークの中核システムの分断が、どのようにして音楽を知覚し、産生し、楽しむことの重度の障害を引き起こすのかについて明らかにした。聴覚皮質は音楽に必要不可欠なピッチ変化の計算に必要だが、正常な音楽能力の獲得には不十分である。その代わり、正常な音楽能力の発達は、IFGとの反復処理に依存しているように思われた。脳がどのように音楽技能を獲得するのかを理解するためには、我々は活動、障害、専門知識の拠点を個々の処理領域と考えるのではなく、複数の皮質領域の共同体と考える必要がある。
この観点で、アウェアネスと誤りの訂正は、学習における基本的原則と言える。先天性失音楽の研究が明らかにしたように、これらの機能は、細かなピッチ変化の処理という点で重度かつ選択的に障害され、音楽というドメイン全体の適切な運用に支障をきたす。また、注意の集中、誤りの意識的モニタリング、ワーキングメモリなどの遂行機能は、音楽ピッチなどの特定の認知ドメインに細分化され、専門化される可能性があることが示唆される。
残念ながら、ピッチの遂行機能は失音楽者ではアウェアネス障害のために容易には改善されない。報酬系の刺激は、より効果的かもしれない。たとえば、協調の取れた音楽の産生 (合唱やギターのグループ奏) は、これらのグループ活動が喜びや集中の共有を生むことから、より有用な可能性がある。動物研究で示されたように、タスク報酬構造は聴覚皮質におけるピッチ処理のトップダウン制御と神経応答を修正する。こうしたアプローチが失音楽で成功すれば、同様の神経生物学的原則に則って、他の先天性疾患の改善にも幅広く適用可能と考えられる。

 

感想
手短にまとめると、① 先天性失音楽ではピッチのアウェアネスが欠如している、② ピッチ産生のフィードバック制御が機能していない、ということなのだけど、この二つを結びつけるロジックが明記されていなかったのがややわかりにくい点だった。発達段階で歌を歌ったりすると、ピッチ産生の遠心性コピーが右IFGにわたり、それがSTGで (正常に) 知覚されたピッチと比較される (STG→IFGに情報がフィードバックされる) ことで、ピッチ産生能力が微細に調整されていくのはわかった。そして、先天性失音楽では前頭側頭路の発達異常によってこの調整ができない、というのもわかった。でもこれは、ピッチのアウェアネスが欠如することの説明にはなっていないと思う。そもそも「意識に上る」ということの定義や機構が説明されていないので、ごまかされている気がする。本文を読んで1つ推察するとすれば、右STGカプセル化されているため他の処理領域からの情報要求に応じられないということなのかもしれないが、抽象的すぎるし根拠がないのであまり信じられない。まあ、仮説だからロジックさえおかしくなければ何を言ってもいいというのも、わからなくはないけど。
細かなピッチ変化に気づけない (アウェアネスが欠如している) のは、STGにあるピッチ変化の知覚表現を、目標達成のために正しく利用することができないという、遂行機能障害的な問題なんじゃないだろうか。また、この文献は弓状束だけに注目しているけど、鉤状束やら下前頭後頭束やら、いわゆる腹側経路もあるわけで、もしこれらが保たれているとするならば、カプセル化という表現はやりすぎな気もする。でも、もしかすると腹側経路はリズムに大事で、背側経路はピッチに大事だとか、そういう話があるのかもしれない (実際に後天性失音楽ではそんなような話もあるわけで)。他にも、後天性失音楽だと腹側経路の障害があっても背側経路が生きていれば数ヶ月で回復すると言われているのに対し、先天性失音楽だと背側経路の発達異常がクリティカルになってしまうのも違和感がある。先天性失音楽も実は腹側経路に異常があるんじゃないか?(→ と思って調べたらそんな研究も出てきた。)
まあ、とても有意義な勉強になった!