Extensive cortical connectivity of the human hippocampal memory system: beyond the “what” and “where” dual stream model.
Huang, Chu-Chung, et al.
Cerebral Cortex 31.10 (2021): 4652-4669.
視覚処理の背側経路と腹側経路というものについて、「聞いたことはあるものの説明はできない」程度の理解だったので、これはマズイと思い読みました。
背景
ヒト海馬は記憶に重要である。海馬の損傷は、少なくとも新たなエピソード記憶や意味記憶の形成に影響を与え、多大な障害を引き起こす。海馬がどのように記憶に関与し、どのように障害が引き起こされるのかを理解するためには、海馬が他の脳領域、特に大脳皮質とどのように結合しているのかを知っていなければならない。動物に対する研究によって、視覚処理のdual stream modelが導かれた。腹側処理経路は、物体や人が「何」であるのかを表現する 'what' 経路と呼ばれており、嗅周皮質、外側嗅内皮質を経て、海馬へと到達する。そして、背側処理経路は空間内の位置を表現する 'where' 経路と呼ばれており、海馬傍皮質、内側嗅内皮質を経て、海馬へと到達する。そして、海馬CA3でこれらが統合され、何がどこで起こったのか、という記憶が形成される。この記憶は、海馬からの階層的に構成されて分離された逆投射経路を用いることで、部分的な想起手がかりが与えられただけでも再生可能である。
図1: 海馬を中心としたdual stream modelの単純な概念図。
マカクザルの海馬には、上で述べたdual stream modelの概念に含まれないような結合路が存在する。たとえば、海馬CA1領域は、上側頭溝皮質の前部や、眼窩前頭皮質、前帯状皮質に直接的な投射を有している。さらにCA1ニューロンは、海馬傍回後部/海馬傍皮質 (areas TF and TH)、嗅周皮質 (areas 35 and 36)、腹側下側頭皮質 (areas TEav and TEpv) など、数多くの側頭葉皮質領域への直接的投射を有している上、側頭極 (TG)、海馬支脚、脳梁膝部前帯状皮質、前腹側下側頭皮質、眼窩前頭皮質など、さらに幅広い領域への投射が認められている。また、頭頂葉領域 (areas 7a and 7b)、海馬傍皮質の一部 (area TF)、後頭側頭溝の一部、上側頭溝、吻側帯状皮質、脳梁膨大後皮質、無顆粒島皮質、尾側眼窩前頭皮質、前腹側下側頭皮質から、海馬CA1への直接的な投射が認められている。海馬支脚は、上側頭溝、外側眼窩前頭皮質、側頭極への投射を有している。齧歯類では、一般的に嗅内皮質は図1のように外側と内側に分離できることが多いが、実際のところほとんどの哺乳類ではこのような単純な分離は存在しないと思われる。このため、ほとんどの哺乳類ではdual stream modelのように単純なネットワーク構造は考えにくく、現実はより複雑である可能性が高い。
※ 参考: Monkey Brain Areas — fMRI 4 Newbies
※ 参考: Cortical Connections of Area V4 in the Macaque
今回の研究の主要な目的は、ヒト海馬とその他の皮質領域の直接的結合に関するエビデンスを得ることである。これは、ヒト海馬がどのように我々の日常生活を支え、そして疾患に関わってくるのかを理解する上での基盤になると考えられる。
主要な疑問は以下の通りである。ヒト海馬システムは、嗅内皮質を海馬へのゲートウェイとした階層構造を有しており、図1で示したような段階的な直接的結合が存在しているのか?Dual stream modelにあったように、what経路とwhere経路は嗅内皮質を通って海馬に至るまで分離されているのか?ヒトが持つ高度に発達した腹側および背側視覚処理経路は海馬システムとどのような解剖学的結合性を有しているのか?これらの疑問は、ヒト海馬の記憶システムのメカニズムを理解する上で重要である。我々は、海馬、海馬支脚、前海馬支脚、嗅内皮質、嗅周皮質、海馬傍皮質 area TF、海馬傍皮質 area TH (PHA1-3の下位領域に分類) の、合計9つの領域について調査を行った。
図2: HCPアトラスで定義された、拡散トラクトグラフィーの9つのシードROI。
今回我々は、ヒトコネクトームプロジェクト (HCP: Human Connectome Project) 内の170人を超える被験者から得られた拡散トラクトグラフィー画像を用いて、ヒト海馬システムの結合性の大規模研究を行った。海馬システムは上で述べた9つの領域であり、これらとの結合性の調査対象として、HCPアトラスで定義された360の皮質領域を用いた。今回の研究ではこのアトラスの使用が非常に重要である。なぜならば、大脳皮質の区画化にマルチモーダルな手法が用いられており、視覚処理に関連した非常に多くの解剖学的皮質領域が、多くの場合機能的に定義されているからである。我々は、海馬が嗅内皮質 (や嗅周皮質、海馬傍皮質) を越えて極めて多くの皮質領域と直接的な結合を有していることを示し、嗅内皮質のみが海馬へのゲートウェイとして機能しているわけではないという仮説を実証する。その代わりに、海馬はいくつかのwhat皮質 (側頭葉皮質) やwhere皮質 (頭頂葉や帯状回後部) と直接的に相互作用しており、さらに低次感覚皮質領域とも直接的結合を有することで、感覚的詳細を有する記憶の再生を促進している可能性が示唆された。我々は、海馬傍皮質外側のarea TFが、嗅周皮質とともに、海馬や腹側側頭葉皮質 (what経路領域) と強い結合を有していることを示し、海馬傍皮質の機能の再評価を行う。さらに、海馬傍皮質内側のarea THが、海馬や背側視覚処理経路、頭頂葉、帯状回後部 (where経路領域) と強い結合性を有していることを示す。これらの視覚処理経路は齧歯類と比較して霊長類で高度に発達しているため、この研究の目的は海馬とこれらの視覚処理経路とのヒトにおける結合性を調べることであった。我々はさらに、what経路の嗅周皮質ステージと、where経路の海馬傍皮質ステージの間の結合性を調べることで、ヒトにおけるdual stream modelの階層性・分離性を評価することも目的とした。これらの結果を、意味記憶に関与する側頭葉前部との強い結合性と組み合わせることで、海馬システムが記憶において果たす役割について、新しい概念を導く。
今回我々が提示する海馬の幅広い直接的結合性は意外な結果かもしれないが、上で述べたような非ヒト霊長類に対するトラクトトレーシング研究から得られたエビデンスはこの結果を支持する。霊長類では、物体や顔の認知に関与する腹側経路の側頭葉領域や、空間機能に関与する背側経路の頭頂葉・帯状回後部領域が存在し、これらはともに海馬に入力することでエピソード記憶のwhatやwhereの処理に関連している。こういった事実を踏まえると、霊長類でのエビデンスから得られる支持も重要であると考えられる。
今回の研究において、注意しておくべき項目がいくつかある。まず、拡散トラクトグラフィーは直接的結合性のエビデンスを提供するが、結合の向きに関する情報は提供しない。また、BOLDシグナルの相関に基づく異なる脳領域の機能的結合性は、必ずしも直接的結合を意味しない。異なる脳領域の間で見られるBOLDシグナルの遅れに基づいた因果的結合性は、1つの脳領域から他の脳領域への影響の向きを表していると考えられるが、直接的結合性は保証されない。これらの手法は互いに補完し合うものであるため、本研究は、同一のHCP被験者における機能的結合性および因果的結合性を参照しながら行った。
方法
本研究では、拡散トラクトグラフィーのシードROIとして、海馬 (Hipp)、海馬支脚 (Subic)、前海馬支脚 (PreS)、嗅内皮質 (EC)、嗅周皮質 (PeEc)、海馬傍皮質の4つの下位領域 (TF and PHA1-3) の合計9つの領域を用いた。これらの領域は、特に言及がない限り、HCPアトラスに基づいて定義されている。
サルのarea THに対応する3つの海馬傍皮質領域は、HCPアトラスでは内側のPHA1、背外側のPHA2、腹外側のPHA3に分かれて定義されている。海馬は、Winterburnらの海馬テンプレートを用いて、HCPアトラスで言う厳密な海馬の領域よりも広い領域を含めて再定義した (海馬と海馬支脚は分離した)。
1. 被験者
公開されているWu-Minn HCP 7Tデータセットの被験者プールから、拡散画像と構造画像スキャンが行われている178人の被験者を対象にした。除外基準はなく、69人の男性と109人の女性が選ばれた。年齢は主に22-36歳であった。ほとんどの被験者で、海馬システムとの機能的結合性および因果的結合性は同様の結果を示した。前処理が行われた拡散画像およびT1強調画像をConnectomeDBから入手し、今回の解析に使用した。
2. 脳の区画化
すべてのROIを含んだ全脳の構造的コネクトームを再構成するために、本研究では2つのアトラスを組み合わせた。1つは、HCPのマルチモーダル区画化 (HCP-MMP v1.0) で、半球ごとに179個の領域 (180領域から海馬を除いたもの) に分かれている。もう1つは、CIT168強化学習アトラスから選択した、8個の皮質下領域である。これには、海馬、視床、尾状核、被殻、淡蒼球外節、淡蒼球内節、扁桃体、側坐核が含まれる。これら2つのアトラスは、ICBM152 2009c の asymmetric Montreal Neurological Institute (MNI) space で定義されている。海馬支脚を海馬と区別するため、CoBrALab atlas が提供する 'subiculum mask' を用いた。以上より、今回我々は、大脳皮質といくつかの皮質下領域を含む376個の区画を用いた。T1強調画像とMNI空間の間の正規化は、Advanced Normalization Tools を用いて行なった。本研究で用いた脳区画は、最近接補完を用いて各被験者のネイティブ空間に投影され、その後のトラクトグラフィーや結合行列の再構成に用いられた。
3. 拡散MRIの前処理とトラクトグラフィー
前処理として、Glasserらの記載に従って、アップデートされたパイプラインに基づき、基本前処理、歪み補正、渦電流補正、動き補正、勾配非線形補正、平均b0画像のネイティブT1強調画像への登録を行った (FLIRT BBR+bbregisterを用いた)。各被験者の脳マスクは、FreeSurferによるセグメンテーションで行った。トラクトグラフィー画像を用いた白質トラクトを再構成するために、まずT1強調画像を5TTを用いて5つの組織タイプ (皮質灰、皮質下灰白質、白質、脳脊髄液、病的組織) を含む5つの組織に分割し、トラクトグラフィーの終点を灰白質に拘束した。各被験者の全脳トラクトグラフィーはネイティブ空間で再構成された。Multi-Shell Multi-Tissue Constrained Spherical Deconvolution (MSMT-CSD) モデルおよび事前に登録した5TT画像を用いて、線維配向分布 (FOD: fiber orientation distribution) 関数を得た。ボクセル単位の線維配向分布に基づき、ダイナミックシーディングアルゴリズムを用いたiFOD2 (second-order integration based on FOD) による解剖学的拘束トラクトグラフィ (ACT: anatomically constrained tractography) を適用し、初期トラクトグラム (最長250mm、最短5mmの100万本の線維) を生成した。領域間を接続する線維数を定量化するために、より生物学的に意味のある構造的結合密度の推定値を提供するSIFT2 (spherical-deconvolution informed filtering of tractograms) 法を適用した。再構成線維の妥当性を高めるために、トラッキングにおける事前情報として前述の5TTを利用し、以下の6つのルールを必須条件として適用した。(1) 線維が灰白質に入った場合、そこで終了とし、許容した。(2) 線維が脳脊髄液に入った場合、その線維を拒否した。(3) 線維がFOVまたは脳マスクから出た場合、そこで終了とし許容した (これは脊髄を含む線維を許容するために必要)。 (4) FOD amplitudeが非常に小さいボクセルに到達するか、白質で過度のカーブ角を示す場合 (デフォルト閾値はFOD amplitude 0.05、カーブ角45°)、その線維を終了させて拒否した。(5) 皮質下領域内でルール4が適用された場合、その線維を許容した。(6) 線維が皮質下灰白質のボクセル内で最小FOD振幅に達したとき、その線維は切り捨てて灰白質で終了とした。このようにして生成した全脳トラクトグラフィーを、コネクトームの再構成に使用した。シードROIの結合パターンをボクセル間結合に基づいて示すため、ROI内に終点を持つすべてのボクセル間線維を含めた。
我々は、線維の交差部位で経路の偽陽性が生じないようにするために細心の注意を払った。拡散テンソルモデルでは、線維の交差の問題を解決するのは難しいとされている。これまでの研究では、曖昧なfanningとbendingを持つ線維集団がある領域において、偽陽性のトラクトトレーシングが生じやすいことが報告されている。そこで本研究では、MSMT-CSDをベースに、iFOD2とSIFT2を用いた別の手法で、トラクトグラフィーにおける偽陽性バイアスを制御するACTを行なった。本研究で適用されたSIFT2法は、複数ボクセルにわたるFOD関数の全体的な分布に基づいてトラクトグラムを重み付けすることによってバイアスを補正し、コネクトーム再構成の精度を向上させ、ラインを生物学的に意味のある相対的マーカーとして使用することを可能にする。我々は、線維交差に関連する偽陽性が今回の研究で得られた知見の制限にはならないという証拠を、考察において議論する。長距離トラッキングにおいて生じる偽陰性は現在の方法の限界であるため、我々は長距離トラックをいくらか過小報告した可能性がある。
少数の特定のシード領域によって生成された偽陽性経路をできるだけ減らすために、全脳トラクトグラフィーを行った後で、ROIの結合特性を抽出した。ネイティブ空間アトラスにおいて、各線維の終点に最も近いノードを定位するための4mmの放射状サーチを行うtck2connectomeコマンドを用いて、全脳トラクトグラフィーの結合行列を生成した。376個の脳領域に対して、脳領域ペアの間の線維数を測定した。これによって、9×376の結合行列 (9個のシードROIと376個の皮質・皮質下領域) を半球ごとに作成した。
被験者ごとに全脳の線維マップを作成するため、9個のシードROIそれぞれから始まる各線維の終点の座標を抽出し、ネイティブ空間でボクセルごとの結合の数を記録した。このネイティブ空間でのマップをMNI空間に変換した。図3に示すような可視化の際は、海馬ROIにランダムシーディング (1ボクセルあたり200シード) を施した。
※ 図3: 拡散トラクトグラフィーに基づく左海馬が持つ結合線維。海馬からの線維は、嗅内皮質、嗅周皮質、海馬傍皮質などの局所領域に達している (紫)。さらに、海馬からの線維は、背側海馬交連を介して両側の低次視覚皮質 (紫ピンク)、頭頂葉 (黄)、眼窩前頭皮質 (マゼンタ)、脳梁直上の帯状回を介して前帯状皮質 (薄緑)、脳弓を介して視床と乳頭体 (ライトブルー)、等の遠位領域にも到達している。海馬は白色で示されている。
なお、拡散トラクトグラフィーが持つ、結合の追跡およびその強度の測定方法としての有用性は、マカクザルにおいて拡散トラクトグラフィーおよびトレーサーを用いた従来の解剖学的方法を比較した研究によって支持されている。
4. 統計
9個のシードROIからのそれぞれのHCP-MMPアトラス領域に対する線維投射の結合パターンを調べるため、178人の被験者全員の線維終点の平均マップをボクセルレベルで計算した。さらに、各シードROIと各皮質・皮質下領域を結ぶ線維の数について、178人の被験者全員の平均を計算し、結合行列として表示した。結合行列を可視化するために、被験者間の平均線維数が5本以上あった領域ペアを色で表示した (図5)。この表示方法によって、HCP-MMPアトラスの360個の皮質領域の中で13.5%が残り、この割合はこれまでの拡散トラクトグラフィー研究で得られた範囲と同程度であった。図4は、ボクセルレベルでの結合を冠状断で表示してた図である。この図を見ると、図5で用いた閾値が偽陽性を避けるために合理的な値であったことがわかる。
※ 図4: 左海馬から始まる線維の終点。海馬は黒線で示されている。左海馬と他のすべての脳領域を結ぶ線維について、178人の平均本数を示す。閾値は、弱い結合も可視化でき、かつ図3とほぼ一致するように、1mm^3あたり0.003本とした。
※ 図5: 各シード領域から始まる線維の終点を表す結合行列 (左半球に対するトラクトグラフィー)。各行はシードROIを、各列はHCPアトラスの領域を表している。
結果
我々は、HCPの178例の7T MRIデータに基づく拡散トラクトグラフィーを用いてヒト海馬システムの結合性を解析することで、前述した疑問に対する答えを探索した。我々が本研究でHCPアトラスを用いたのは、このアトラスがマルチモーダルなデータを慎重に扱いながら半球ごとに180個の皮質領域を定義しており、そしてこれらの領域は解剖学のみならず、機能的な観点にも基づいているからである。ヒト海馬体に関係したできるだけ多くの皮質領域が持つ結合を解析するため、我々は図2に示したように9つの別々の領域 (シードROI) に対してトラクトグラフィーを行った。これらの領域のほとんどはHCPアトラスで定義された。詳細は「方法」を参照のこと。
1. ヒト海馬が持つ線維結合
まず我々は、今回得られた線維連絡が、ヒト海馬システムの結合性に関してどのようなことを明らかにできるのかについて考えた。今回のトラクトグラフィーで得られた線維の1本1本は、単一の神経線維束を表している。図3は、海馬をシードROIとして用いた時の答えを表している。この図から、海馬からの線維は嗅内皮質のような近傍領域のみならず、側頭葉前部、頭頂葉皮質、低次視覚皮質領域、眼窩前頭皮質、前帯状皮質のような遠位領域にも至っており、さらに脳弓を介して視床前部にも至っていることがわかる。
図3は、単一の被験者の透明全脳に対して線維を表示した図である。相互に結合した脳領域を決定するため、我々は各シードROIから発生した線維が終着する脳領域を解析した。このため、次に述べるように、178人の被験者それぞれに対して、冠状断で各線維の終点と終着本数を表示した (図4)。
2. 線維終点が示すヒト海馬システムの結合性
海馬からの線維の終点を冠状断で定量的に表示したものを図4に示す。シード領域 (今回は海馬) は黒で示されている。カラーバーは、178人の被験者の平均に対して用いられている。この図から、ヒト海馬が結合を持つ脳領域には、嗅内皮質、側頭葉前部を含む腹側経路の構成要素、頭頂葉皮質を含む背側経路の構成要素、そして低次視覚皮質領域も含まれていることがわかる。図S1は名前ラベル付きのHCPアトラスである。この図は、図4を見る際の領域同定に役立てることができる。
※ 図S1:HCPアトラスの脳領域とそれぞれの命名。
我々は、トラクトグラフィーによって評価したシードROIと終着領域の構造的結合性を、このような冠状断画像で表示することとした。これは、各脳領域の結合性を表示するためにはこの方法が最も明瞭な方法であると考えられた上に、軸索輸送を用いた古典的な実験的トラクトトレーシング研究で用いられた表示手法とも合致するからである。
海馬以外の残る8つのシードROIに対する同様の表示を、図S2-9に示す (わかりやすくするために後々各セクションで示します)。
図2や図S2-S9に示した画像に基づきながら、我々はこれから、すべてのシードROIから得られた結果に関して述べる。しかしながら、まず我々は、どのようにすればこれらすべての情報を定量的評価が可能な単一の形にまとめ上げることができるのかについて考える必要がある。
3. 各海馬システム領域が持つ結合を定量的に表示する
結合性を定量的に記述するため、我々は各シードROIと180個の脳領域の間の線維数を測定し、それを178人の被験者全員について平均した。このようにして作成された結合行列のうち、省略したものを図5に示したが、全体像は図S11に示した (図S11はわかりやすさのために後で表示します)。この結合行列によってコネクトームの明示的定量評価が可能であり、またこの表示方法は機能的結合性データの一般的な提示方法とも一致している。
図2に示した9つの海馬システムのシードROIとHCPアトラスの各脳領域の間の結合性を示したデータ (図4・S2-9の冠状断スライスと、図5・S11の行列) の詳細な記述は次節以降で行う。図5・S11は各シードROIとHCPアトラスによる脳区画の間の結合性を示しており、結合を有する脳領域ペアの名前と線維本数が分かるようになっている。また、 図4・S2-9はボクセルレベルの結果を示しており、結合性を有する正確な脳領域を知ることができる。結果はこれら2つの表示方法によらず一貫しているため、用いる表示方法が異なっていても結果を議論する上では問題ないと考えられる。また、図6のサマリーダイアグラムを参照するのもわかりやすいだろう (後の議論で使用)。
※ 図6: 拡散トラクトグラフィーによって得られた、ヒト海馬システムが持つ結合性のまとめ。領域間の線維数は線の太さおよび横に記された数字によって示されている。青色は腹側皮質経路に属する領域とその間の結合を、赤色は背側皮質経路に属する領域とその間の結合を示している。海馬傍皮質では、TFは腹側経路領域とより大きな結合を有していたが、TH (PHA1-3) は頭頂葉皮質領域とより大きな結合を有していた。低次視覚皮質領域のように複数の (下位) 領域を含むような領域については、下位領域の中で最も大きな線維数を記している。結合線維数が20未満の関係性はこの図の中には示していない。なお、低次視覚皮質領域 (Early visual cortical areas) は、HCPアトラスのV1-V4tに該当し、頭頂葉皮質はPSLからPGsに、側頭葉皮質はTE1aからTGvに該当する (詳細は原論文のTable S1参照)。
4. ヒト海馬は嗅内皮質をバイパスする多くの結合を有しており、中には低次感覚皮質領域にも至る結合もある
図5に示したように、海馬は嗅周皮質、嗅内皮質、海馬支脚への強い〜中等度の直接結合を有している (ただし、拡散トラクトグラフィーでは線維の向きまではわからない)。海馬はTF、TH、前海馬支脚を含む海馬傍回領域とも中等度の結合を有している。その他、TG (側頭極)、TE (下側頭視覚皮質) や、頭頂葉皮質の第7野 (内側)、LIP、MIPやVIP、PFやPG (外側)、帯状回後部 (e.g. 頭頂後頭溝内、前線条傍線条皮質、脳梁膨大後皮質) との結合も中等度に認められる。さらに海馬は、V1、V2、V3、V4や、体性感覚皮質、梨状 (嗅) 皮質といった低次感覚皮質領域や、TH野と共にPPA (parahippocampal place area) を構成する腹内側視覚領域 (VMV: ventromedial visual areas)、そして眼窩前頭皮質 (pOFC) とも中等度の結合を有している。図4からは、海馬が側頭葉前部 (側頭局TG、海馬傍皮質THとTF)、頭頂葉内側皮質、頭頂葉外側皮質、後帯状皮質・脳梁膨大後皮質 (RSC: retrosplenial cortex)、後頭葉視覚皮質領域と結合を持っていることが強調される。そして図5からは、その強度が様々であることがわかる。さらに図4は、島皮質の前腹側部との結合や、脳弓を介した視床前部への結合も示している。前帯状皮質や外側眼窩前頭皮質との軽度の結合も、図3および図4から明らかである。さらに、海馬は扁桃体や腹側線条体との線維結合も有している (図4)。
※ 図4: 海馬 (Hipp) シードからの線維密度 (再掲)。
これらの結合はほとんどが嗅内皮質をバイパスして直接的に新皮質領域に到達しており、これは先述したマカクザルの先行研究を踏まえると理に適った結果だと思われた。ただし、複数の低次感覚皮質との結合が見られたのは、やや予想外であった。このため、この点に関しては更なる解析を行った。海馬とV1や頭頂葉皮質の直接的結合は、V1や頭頂葉皮質をシード領域に設定しても明らかであり、海馬後方に終着する線維が認められた (図S10)。これらの低次視覚皮質との結合の信頼性については、機能的結合性データも含めながら、考察で議論する。
※ 図S10: V1や頭頂葉皮質をシードとした際に見られる海馬への線維結合。
5. 海馬支脚と前海馬支脚は海馬や嗅内皮質のみならず、海馬傍皮質や嗅周皮質、後帯状皮質や脳梁膨大後皮質、頭頂葉皮質とも結合している
図2より、海馬支脚はCA1に近い比較的小さな領域である一方、前海馬支脚は特に後方で際立った領域であることがわかる。海馬支脚をシードにすると、最も強い結合は嗅内皮質にあり、海馬とも中等度の結合を有していることがわかる (図5)。その他、海馬傍皮質TH、前海馬支脚、嗅周皮質、帯状回後部とも中等度の結合が認められる。図S2より、海馬支脚が嗅内皮質と特に強い結合を有していることがわかり、さらに嗅周皮質や海馬傍皮質TH (PHA1-3)、後帯状皮質、頭頂葉内側領域やRSCとも結合していることがわかる。図6は、海馬支脚が海馬と嗅内皮質を結ぶ主要な通過路として働いていることを示している。海馬支脚の皮質結合は、海馬と比べてかなり少なかった (図5)。
前海馬支脚は、海馬、嗅内皮質、PPAが存在するTH・VMV野、低次視覚皮質との強い結合を持つという点で特徴的である (図5)。また、RSCを含む帯状回後部や、内外側の頭頂葉皮質とも多くの結合を有している (図5)。また、前海馬支脚は海馬システムの9領域の中で唯一前帯状皮質 (p32pr) との結合を持っているという点でも特別である。図S3からは、嗅内皮質と嗅周皮質の他に、前帯状皮質、頭頂葉内側領域、後帯状皮質やRSC、島皮質 (PoI1)、低次視覚皮質領域の内側部 (V1-V8, etc) との結合が強調される。
※ 図S2-3: 海馬支脚 (Subic) および 前海馬支脚 (PreS) シードからの線維密度。
6. 嗅内皮質は海馬-皮質間のゲートウェイではない
嗅内皮質をシード領域にすると (図5-6、図S4)、最も強い結合性は海馬および海馬支脚との間に存在した。また、嗅周皮質と前海馬支脚とも中等度の結合があった。図S4は、嗅内皮質が海馬/海馬支脚および嗅周皮質と特に強い結合を有していること、および海馬と比較するとかなり少数の皮質結合しか持たないことを強調している。
※ 図S4: 嗅内皮質 (EC) シードからの線維密度。
7. 嗅周皮質は海馬および海馬傍皮質TFや腹側視覚処理経路領域と結合している
嗅周皮質をシードにした時 (図5-6、図S5)、最も強い結合は海馬、海馬傍皮質TF、下側頭葉皮質視覚領域および特に側頭局 (TG) に見られた。中等度の結合は嗅内皮質、海馬支脚、梨状 (嗅) 皮質に見られ、海馬傍皮質THともいくらかの結合を有していた。図S5は、嗅周皮質が持つ嗅内皮質、下側頭葉皮質領域、側頭極との結合を強調している。見られる皮質結合は、海馬と比べるとかなり少数である。
※ 図S5: 嗅周皮質 (PeEc) シードからの線維密度。
8. 海馬傍皮質外側のTFは海馬や嗅周皮質および腹側視覚処理経路領域と、内側のTHは海馬や前海馬支脚および背側視覚処理経路の頭頂葉・後帯状領域と結合している
図5-6と図S6より、TF野 (海馬傍皮質外側部) は、海馬、嗅周皮質、下側頭皮質のTE野や紡錘状回顔領域、側頭極 (TG) と強い結合を有していることがわかる。また、低次視覚皮質領域や梨状 (嗅) 皮質ともいくらかの結合を有している。この中でも特に、嗅周皮質との結合が目立っている (図5-6)。
TH野 (海馬傍皮質内側部; PHA1-3) は、海馬と強い結合を持っている他、前海馬支脚や低次視覚皮質領域との中等度の結合や、頭頂葉や帯状回後部領域とのいくらかの結合も有している (図5-6)。PHA1-3の中ではいくらかの勾配があり、再外側のPHA3とPHA2は下側頭皮質領域 (TE and TG) と、内側のPHA1は帯状回後部との優位な結合を有する (図5、図S7-9)。
※ 図S6: TF野からの線維密度。
※ 図S7-9: TH野 (PHA1-3) からの線維密度。
9. 海馬システムの結合性の左右差を比較すると、海馬と前海馬支脚を除いてほとんどが同側支配であった
次に我々は、ヒト海馬システムが主に一側性支配なのか両側支配なのかという疑問について扱った。左右のシードROI各々から全HCPアトラス領域に対する解剖学的結合行列は図S11に示した。上段の行列は右半球との結合を示しており、下段の行列は左半球との結合を示している。
※ 図S11: 左右のシードROI (9×2個) と左右大脳半球の皮質・皮質下領域 (各々376個; 上段と下段に分けて表示) の解剖学的結合行列。
図S11や図4、および図S2-9から最も明らかなのは、拡散トラクトグラフィーでわかる範囲の海馬システムの結合性はほとんど同側性だということである。ただし、海馬や前海馬支脚は、対側の海馬や前海馬支脚、脳梁膨大後皮質、頭頂葉内側第7野、低次視覚皮質領域といくらかの結合を有している。
対応する領域の線維数を左右半球間で比較するため、図5に示された皮質領域に限定して、178人の被験者のデータに対するpaired t検定を行った。すると、前海馬支脚とVMV1-3、VVC、PHA1-3 の間の結合は、左半球と比較して右半球で有意に多かった (p < 0.05)。これらの領域はPPAを構成している。海馬や帯状回後部 (脳梁膨大後皮質を含む) も同様に右半球のPPAと強い結合性パターンを有していた。この結果から、PPAと海馬システムの結合は、(前海馬支脚を介して) 右半球に優位性があることが示唆される。左半球では、海馬と嗅周皮質、TF、TE1a、TE2p、TGv、TGd の間の結合線維が有意に多かった。これらの左側頭葉前部領域は意味処理に関与していると考えられており、さらに左半球のTF野はBroca野 (area 44) と強い結合を有していたことから、この領域の言語機能との関わりがさらに強調された。この結果から、左半球の海馬は意味処理や言語に関与する脳領域と強い結合を持っていることが示唆された。
考察
図1に示すような単純なシェーマで表現される古典的なdual stream modelには、海馬と大脳皮質の結合は主に嗅内皮質を通して行われるという考えが取り入れられており、このため嗅内皮質は「海馬へのゲートウェイ」であると考えられていた。この考え方では、内側嗅内皮質が海馬傍皮質や頭頂葉・脳梁膨大後皮質と結合することで背側処理経路に接続し、外側嗅内皮質が嗅周皮質や下側頭皮質領域と結合することで腹側処理経路に接続するとされていた。本研究で拡散トラクトグラフィーを用いて可視化したヒト海馬の結合性は、嗅内皮質との結合性が主体というよりも、より幅広い皮質領域との結合性を有しており、図1に示されたdual stream modelのような、純粋な階層性 (段階性) や分離性 (what経路とwhere経路の分離) を持った構成は見られなかった。本章で我々は、図6に示したヒトにおける皮質領域間の結合性についても考察する。まず、図6に示した結合性のほとんどが、導入部分で紹介したような非ヒトの霊長類における研究データから支持されていることを前もって記しておく。また、本研究の拡散トラクトグラフィーで見られた海馬システムと低次感覚皮質領域との結合性については後で議論を行うものの、海馬とV1-V3や体性感覚/運動野との機能的結合性はHCP被験者のデータを用いて既に示されている。
1. ヒト海馬は広範な皮質結合性を有する
図4-6に示されるように、ヒト海馬の皮質結合性は、嗅内皮質を超えてかなり幅広い領域に至っている。海馬は、嗅周皮質、海馬支脚、前海馬支脚、海馬傍皮質 (TF and TH) と直接的結合を有している。また、海馬は側頭極 (TGd and TGv) や頭頂葉皮質、帯状回後部 (脳梁膨大後皮質を含む)、そしてV1-V4を含む低次視覚皮質とも中等度の結合がある。
まとめると、ヒトでの新たなエビデンスと、先述したマカクザルでの発見は、海馬が持つと考えられていた既存の役割を超えて、さらなる海馬の機能を示唆するものであった。海馬は、嗅内皮質から入力を受け、これを歯状回苔状線維システムでのパターン分離に送り、次にCA3でパターン補完を行い完全な記憶を想起し、そしてCA1を介して嗅内皮質にその情報を送ることで、大脳新皮質における記憶の想起を行なっていると考えられてれている。今回のエビデンスは、CA1を含む海馬と、側頭葉、頭頂葉、帯状回後部、島、眼窩前頭皮質を含む多数の皮質領域との結合を示しているが、これらの機能はなんだろうか?前述したマカクザルの文献から、これらの領域との結合は明らかな方向性を持っており、皮質からCA1への直接的入力を行なっていると考えられる。この入力は、CA3からCA1への入力と関連付けられる。そして、CA1から新皮質に戻る投射によって、こうした情報を新皮質に戻って再生することができているのだと思われる。この考え方によれば、CA3を含んだ海馬の3シナプス回路はエピソード記憶を構成し想起するのに依然として重要であり、そしてCA1において、さらなる追加の情報がこれらの記憶に関連づけられているのだと考えられる。
しかし、より予想外であったのは、ヒト海馬が低次視覚皮質領域と直接的結合を有しており、さらには体性感覚/運動皮質領域や梨状皮質との結合も (やや弱くはあるが) 認められたことである。低次視覚皮質との結合性は、V1をシードとしてトラクトグラフィーを行い、海馬への線維が認められたことから再確認された (図S10)。これらの結合性についての考察は、後の節で行う。
こうした極めて多数の皮質領域と海馬が直接的に結合していることは何を意味するのだろうか?また、この結果を計算科学的に実装しようとした場合、これらの結合がそれぞれどのような計算を行なっていると考えるのが良いのだろうか?手がかりは、以下のような再概念化から得られる。マカクザルでは、嗅周皮質36野やTF野など、いくつかの海馬関連領域からの結合が、側頭葉など比較的低次の新皮質領域の浅層に到達することから、これらの結合は図6に示したような階層構造における逆投射として働いていると考えられている。これと一致して、ヒトでは嗅周皮質とTFから側頭葉皮質領域への因果的結合性が比較的弱いことが報告されており、これらの投射が逆投射であることを示唆している。さらに扁桃体は、V1などの低次視覚皮質領域の浅層に終わる豊富な逆投射を有していることが知られている。ここから、嗅周皮質や海馬傍皮質、更にヒトでは海馬が各皮質領域に逆投射を有することによって、海馬による視覚的、感覚的情報の詳細な再生が可能になっているという、新たな仮説を立てることができる。記憶の再生は、新皮質の第1層への逆投射が持つ主要な機能であると考えられている。海馬が、様々な感覚モダリティの低次感覚処理領域 (視覚、嗅覚、体性感覚、空間表現) と結合していることは、記憶の感覚詳細の貯蔵および後の再生に役立っているのかもしれない。計算科学的理論の観点からすれば、海馬の逆投射のいくらかは、エピソード記憶が形成される際に、「環境内に何があったのか」というエピソードの低次詳細を表現する (大脳皮質の) 神経活動とのパターン連合学習に関連している可能性がある。これによって、海馬の活動性を再生することで、逆投射を介したエピソードシーン全体の低次感覚詳細の再生が可能になっているのだろう。他の可能性としては、低次感覚皮質領域とより高次の皮質システムの間の結合の一部が、高次システムに向かっている可能性もある。こういった結合は、記憶のみならず、連続的体験における原型的感覚詳細についても、感覚処理の低次詳細に高次システムへのアクセスを与える役割を有している可能性がある。こう考えると、低次の原型的感覚詳細は、感覚処理階層の高次段階では、明示的に表現できるものではない (すなわち発火率などから簡単に復号できるものではない) のかもしれない。
2. ヒト嗅内皮質は海馬との単一のゲートウェイではない
嗅内皮質は海馬や海馬支脚と多くの線維結合を有しており、嗅周皮質や前海馬支脚とも中等度の線維結合を有している。しかしながら、図6からわかるように、この領域は海馬との単一のゲートウェイではない。海馬は、嗅内皮質を迂回して、腹側処理経路の嗅周皮質、海馬傍皮質TF、側頭葉皮質と直接的結合を持ち、また同時に背側処理経路の前海馬支脚、海馬傍皮質TH、頭頂葉、帯状回後部とも直接的結合を持っている。また嗅内皮質は、海馬との直接的結合のみならず、海馬支脚を介した間接的結合も有している。
3. ヒト嗅周皮質は海馬の他に腹側処理経路what領域とも直接的結合を持つ
嗅周皮質は海馬と強い直接的結合を有しており、その結合は嗅内皮質を介した間接的結合よりも (少なくとも結合線維数の観点では) 強固である (図6)。他にも、予想されていたことではあるが、嗅周皮質は下側頭皮質領域 (TE) や側頭極 (TG) とも多数の線維結合を有していた (図5-6)。これらの発見は、マカクザルの報告からも支持されている。興味深いことに、嗅周皮質は海馬傍皮質TFと強い結合を有しており、TFが腹側処理経路と近接した関係にあることが示唆された。
4. ヒト海馬傍皮質の外側部TFは腹側視覚処理what領域と、内側部THは空間的シーンや頭頂葉whereシステムと結合している
海馬傍皮質の中でも、外側のTFは腹側視覚経路の皮質領域と比較的強い結合を有しており、頭頂葉領域との結合は弱かった (図5、図S6)。TFは腹側視覚経路と強いつながりを持ち、また紡錘状回顔領域 (FFA: fusiform face area) のすぐ前方に存在することから (図S1)、TFは顔認知や物体認知システムに関係している可能性が高く、そして海馬とも強い結合を持つことによって、海馬と腹側視覚処理経路のインターフェイスとして働いている可能性がある。
ヒトTFが持つこの結合性は、マカクザルの先行研究とは異なっている。マカクザルでは、TFは後部頭頂葉皮質と比較的強い結合を持っているが、ヒトでは腹側視覚処理経路との結合性が強い。一方、現在ラットでは、海馬傍回に対応する領域は外側嗅内皮質、すなわちwhat領域と結合していることが示されている。このラットでの発見は、ヒトにおいて海馬傍皮質のTF領域が側頭葉TE領域の腹側視覚処理whatシステムと結合を持つ (図6) という再概念化を支持するものである。
一方で内側のTHは、VMV領域 (THとともにPPAを構成する領域) などと比較的強い結合を持つ。ここから、THはspatial view cells (特定のシーンが動物の視界の中に存在する時に発火する細胞) を持つ海馬にシーン情報を与えるルートを提供していると考えられる。THは頭頂葉皮質領域と機能的結合性や因果的結合性を持つことが示されており、背側視覚処理経路との関連が示唆されている。マカクザルの海馬傍回内側にも、同様のシーン応答領域が報告されている。今回見られた海馬傍皮質領域と海馬の間の直接的結合性は、マカクザルの研究で見られた解剖学的結合性によって支持されている。
5. ヒト海馬システムは嗅内皮質を大きく超えた結合性を有しており、dual stream modelのような明らかな階層性や分離性は持たないが、これがヒトにおいて記憶に重要な役割を持つ
図6に示されている主要な発見を、再度確認してみよう。特に重要なのは、古典的な腹側経路領域や背側経路領域は図1に示すほどよく分離されているわけではないということである。古典的には、腹側視覚経路は嗅周皮質と外側嗅内皮質を介して海馬と結合しており、背側視覚経路は海馬傍皮質と内側嗅内皮質を介して海馬と結合していると考えられていた。しかし実際には、図5や図6に示すように、海馬は嗅内皮質を超えた多くの結合を有している。海馬は、嗅内皮質を迂回して嗅周皮質や海馬傍皮質に直接至る強い結合を持つ。また、海馬が腹側視覚経路内の側頭葉領域のいくつかと直接的結合を持ち、背側視覚経路内の頭頂葉領域や帯状回後部とも直接的結合を持つというのも、目を引く結果であった。マカクザルの先行研究では、側頭葉領域については既にエビデンスがある。さらに、海馬が低次感覚皮質領域 (梨状皮質や前腹側島皮質) とも結合を有していたのは非常に興味深い。これについては、記憶の低次感覚詳細の再生に役立っている可能性があるということを上で述べた。マウスでは、海馬がV1の神経応答に影響を与えるというエビデンスが存在する。今回、我々はこのエビデンスを超えて、海馬がV1やその他の低次視覚皮質領域、および嗅覚や触覚などの低次皮質領域と直接的結合を持つという、拡散トラクトグラフィーによるエビデンスを提供した。
また、腹側視覚経路および背側視覚経路が海馬に到達する前の段階から海馬と中等度に結合しており、それぞれの経路があまり分離されていないように見えるというのも、際立った発見であった。たとえば、腹側経路の嗅周皮質、TF、TE/TGと、背側経路のTHは、交互に結合していた。
確かに嗅周皮質と海馬傍皮質は海馬に結合する前から交互結合を有してはいるが、図5や図6を定量的な視点で評価すると、腹側経路/嗅周皮質と背側経路/頭頂葉皮質はある程度は分離されていることが示唆される。このため海馬には、腹側経路と背側経路から入力される、疎で比較的関連性の薄い表現を連合記憶に適したものにし、それらをCA3の自己連合/アトラクタネットワークで連合できるようにする、という重要な機能が残されている。したがって、ヒト海馬はエピソード記憶に重要な貢献をしていると言えるのだ。これと一致するように、高血圧時に海馬と他の脳領域の機能的結合性が低下すると、エピソード記憶の障害が見られることが報告されている。ここで述べた発見、すなわちヒト海馬が側頭葉、頭頂葉、低次感覚皮質領域と多くの直接的結合を有しており、さらに側頭葉システムと頭頂葉システムの結合の分離性は今まで考えられていたよりは明らかではないということは、我々の海馬システムに対する理解を深めてくれるものである。計算科学的には、海馬歯状回からCA3-CA1に至る3シナプス回路は、エピソード記憶の特定の時点で起こるwhat表現とwhere表現を任意に関連付けることを可能にするという点で重要だと考えられる一方で、2つの経路が海馬に到達する前に互いに結合する機会があるのは、海馬傍皮質や嗅周皮質など側頭葉内側領域において情報を収束させて、有用なマルチモーダル表現を作成することを可能にするため、同じく重要だと考えられる。
またヒト嗅内皮質は、海馬との主要なゲートウェイであるとは到底言えないものであった。海馬が嗅周皮質や海馬傍皮質のみならず、側頭葉や頭頂葉皮質、またあらゆるモダリティの感覚皮質領域と直接的に結合していることによって、嗅内皮質が迂回される経路が多数存在することがわかった。ここから推察されることとして、嗅内皮質 (、海馬傍皮質、嗅周皮質) は海馬からの (または海馬への) 入力を引き継ぐことにリソースを割く必要がなくなるため、特定の機能に特化できるように進化している可能性がある。たとえば、海馬傍皮質はシーン内でのオブジェクトの位置の記憶に関与するspatial view cellsを有しているし、空間探索やシーンの認知に重要なPPAを有していることが知られている。その他の機能特化として考えうるのは、嗅内皮質が海馬とともにtime cellsの生成に関与しているということである。また、他の可能性としては、嗅周皮質が長期的な既知感に関与しているということが挙げられる。
側頭極を含む側頭葉前部が海馬と直接的に結合しているというのは、側頭葉前部が意味記憶に関与するということを考慮すると、記憶の構築について考えるにあたって非常に興味深い。マカクザルでは、側頭極TG野は意味記憶の基盤を提供するマルチモーダル領域である。さらに、ヒトでは側頭葉前部が鉤状束を介してブローカ野と結合しており、これは側頭葉前部が言語処理とも関連した意味記憶に関わっているとする仮説にも合致する。この結果は、ヒト海馬が新しい意味記憶をどのように形成しているのか、そして意味情報がどのようにエピソード記憶に取り入れられているのかという疑問についての、新しい概念の基盤となりうる情報である。さらに、左海馬は側頭葉前部と有意に多くの線維結合を有しており、右海馬は前海馬支脚やPPAと有意に多くの結合を有していた。この結果は、左右半球の海馬が持つ皮質結合性の非対称性に関する、非常に興味深いエビデンスを与えている。
他の興味深い点としては、後帯状皮質やRSCが海馬と直接的結合を有している他、いくつかの背側視覚経路とも結合しているという点である (図6)。この結果は、海馬システムが頭頂葉/帯状回後部システムと近接してコミュニケーションをとっていることを示している。頭頂葉/帯状回後部システムは、単なるwhere表現のみならず運動にも関与していると考えられており、単なる空間的位置の表現に限らず、探索戦略に関する行動を可能にしているという点で、ヒトやその他の霊長類の探索システムにおいて重要であると提唱されている。しかし帯状回後部領域は、運動への関与に加えて、空間的シーン表現を有している。したがって、この領域が海馬への経路の一部を構成することによって、海馬においてspatial view cellsがみられたり、海馬がエピソード記憶や探索にも関与することができているのだと考えられる。
6.トラクトグラフィーの評価
拡散トラクトグラフィーは限界のある手法だが、我々は現代的な手法を用いて、線維交差により生じる偽陽性を最小化する努力を行った。今回の発見に関して、線維交差の問題がそこまで大きな影響を持たないと考えられる理由は、以下の通りである。まず、我々が調査した9つの海馬システム領域は互いに極めて異なった結合性を有しているのにも関わらず、側頭葉内側の中で非常に近接しており、これらの領域の結合性の違いを説明しうるような異なる線維交差の可能性が明らかになっていないという点である。また2つ目に、同じHCP被験者に対して行った機能的結合性データが、今回の拡散トラクトグラフィーが誤った経路を生んでしまった可能性、すなわち偽陽性を生んでしまった可能性を否定してくれているという点である。3つ目に、我々はfMRI BOLDシグナルに対するHopfアルゴリズムを用いた因果的結合性に基づく結合性評価を (他の論文で) 行っているが、同じHCP被験者において、今回発見された線維結合と (完全に同一ではないものの) ほとんどの脳領域で一致した海馬との結合性が発見されているという点である。これらの機能的結合性と因果的結合性のデータは、今回我々が発見した直接的結合性が線維交差による偽陽性ではないということを示している。そして4つ目に、今回我々が報告した結合性はマカクザルで報告されている結合性とも一致しているという点で、高い妥当性を持っていると考えられる。
技術的な課題として、海馬のようなシード領域から始まる線維は追うことができるが、他のシード領域から海馬灰白質の奥の方まで線維を追うのは難しく、灰白質内の線維の向きが一定でなくなり線維が追えなくなるということが挙げられる。このような場合、線維は海馬の近くまで到達し、灰白質の深部まで追跡できないため、そこで終点としてカウントされることがよくある。今回のアプローチの長所は、図3、図4に示すような結合性を、少なくとも領域間あるいは領域群間の線維の数によって、図5および図S11に示すように定量的に評価できることである。このような定量的な測定は、マカクザルの研究では通常行われないものであり、今回述べた研究の重要な要素である。これらの解剖学的結合性の強度と、同じデータセットで測定された機能的結合性の強度を比較することは、今後の研究において興味深いと思われる。
今回行ったようなトラクトグラフィーの強みは、2つの脳領域間の結合性を反映すると思われる推定値 (線維数) を提供できることである。機能的結合性や因果的結合性などの指標は、ある脳領域の信号が他の脳領域の信号とどの程度関連しているかを反映していると考えられるが、必ずしも結合の数や各脳領域の大きさを反映しているわけではないため、トラクトグラフィーにおいてこの点は有用である。ただし、線維数はは軸索の直径などの要因に依存し、おそらく追跡される距離にも依存するため、追跡される軸索の数に直線的に関連しない可能性があることに注意されたい。
結論
以上、ヒト海馬システムの直接的皮質結合性についての、我々が知る限り初めての定量的評価である。実際、今回紹介したような定量的な解析は、動物を用いた神経解剖学的トラクトトレーシング研究ではほとんど行われておらず、脳領域間の結合数が情報伝達量に重要である可能性を考えると、今後の研究において有用であると考えられる。今回明らかになったヒト海馬の結合性は、これまで想定されていたよりも多くの皮質領域との結合であり、海馬と結合する皮質システムの各部位の機能特化に関する新しい概念につながるものである。HCP-MMPアトラスは、両半球に180の皮質領域を持ち、その多くが機能的に識別されているため、今回報告された様々な結合について、機能的な側面から解釈することができる。さらに、同じHCP参加者で得られた機能的結合性と因果的結合性が類似していることは、ここで報告した経路が正しくトレースされていることの証拠となることから、今回得られた結果は拡散トラクトグラフィーの手法上の問題とは無関係であると考えられた。他の手法とは異なり、拡散トラクトグラフィで得られる結合性は直接的結合であるという点が特徴的である。もう一つ重要な点は、これらの結果がネズミから得られたモデルを相当に拡張していることである。ヒト海馬は、帯状回後部および背側頭頂葉視覚経路や腹側視覚路領域など、海馬の機能において非常に重要で高度に発達した皮質領域と結合しており、さらに意味記憶に関与する側頭葉前部システムとの結合も有している。さらにもう一つ重要なのは、HCPのようなヒトコネクトームのデータ収集を目的とした研究への大規模な投資によって、今回の研究で言えばヒトの記憶システムの結合性といった重要な論点について、有意義な進展が得られるということを示したことである。
感想
結果にある、「前海馬支脚とVMV1-3、VVC、PHA1-3 の間の結合は、左半球と比較して右半球で有意に多かった」「海馬や帯状回後部 (脳梁膨大後皮質を含む) も同様に右半球のPPAと強い結合性パターンを有していた」という、右半球における海馬システムとPPA領域の有意に強い結合性と、「左半球では、海馬と嗅周皮質、TF、TE1a、TE2p、TGv、TGd の間の結合線維が有意に多かった」という、左半球の海馬が持つ意味処理や言語に関与する脳領域との有意に強い結合性は、非常に興味深かったです。簡単に言うと、右半球の海馬システムはPPAと有意に強い結合性を持ち、左半球の海馬システムは側頭葉前部~腹外側部と有意に強い結合性を持つ、ということですが、これは大脳皮質の機能的側性化を支持するのはもちろん、意味性認知症が比較的左半球に起きやすいなどの臨床的観察を説明できる発見ではないでしょうか。
また、海馬の逆投射が記憶の再生に役立っているというのは知らなかったです。記憶の再生時に、記銘時と同じ海馬神経アセンブリが活動する、というのは読んだことがありますが、この神経活動と海馬が持つ逆投射よって、各大脳皮質領域における記憶要素の具体的な再生が可能になっているんですね。
ちょっと物申したいのが、考察部分に自己参照が多すぎるという点です。確かに自分の研究は自分の興味なので、考察で自分の過去の文献の引用が多くなるのは仕方ないけど、もう少し多様な見方を取り入れてもよくない...?あと、導入の部分で「意味記憶システムについて新たな概念を導く」とか言ってたのに、考察では「この発見は新しい概念化の基盤となるだろう」的な言い方で誤魔化してたのもオイオイって感じでした。
当直明けなので文句が多くてごめんなさい。