ひびめも

日々のメモです

脳における2つの空間表現: allocentric / egocentric representationを扱う研究についての批判的レビュー

A critical review of the allocentric spatial representation and its neural underpinnings: toward a network-based perspective.

Ekstrom, Arne D., Aiden EGF Arnold, and Giuseppe Iaria.

Frontiers in human neuroscience 8 (2014): 803.

 

人はなぜ道に迷うんでしょう。

一昨日、久しぶりに会う友達と新宿のお店で待ち合わせたのですが、「新宿は庭だから」とか言っときながら20分くらい迷いに迷って遅刻してました。

僕はあまり道に迷わないタイプなのですが、極端に道に迷う人っていますよね。Google mapがあれば迷わないだろ、と思ってしまいますが、それも通用しない人もいるみたいです。

 

前の記事で少し書きましたが、人が空間・地形を把握する際に頭の中で用いる空間表現 (spatial representation) には、egocentric spatial frame (自己中心的空間表現) と、allocentric spatial frame (他中心的空間表現) があります。このどちらの機能が落ちていても人は道に迷いますし、この2つを結びつける脳領域(脳梁膨大後皮質)があるということも同記事で書きましたね。

natch7th.hatenablog.com

 

Google mapを含め地図はallocentric spatial frameの代わりをしてくれるはずなので、地図があっても迷う人は、egocentricがやられているか、allocentricとegocentricの統合がやられているかのどちらかだと思います。ただ、実際のところgoogle mapは自分の現在の位置や向きも示してくれるので、google mapがあっても迷う人はもはやegocentricや統合機能の問題ですらない気がします。紙の地図だと迷うけどgoogle mapなら迷わない、という人ならこの議論が通用するんでしょうけど。

google mapがあっても道に迷う人を馬鹿にする意図は全くないです。

 

さて、ところで、そもそもこのegocentricとallocentricってすごくわかりにくくないでしょうか。僕自身書いておきながら定義をちゃんと説明できないですし、そもそも文献によってすごくばらつきがある気がします。

このあたりの理解が全然足りてないなと思ったので、勉強のために良さげなreviewを探して読みました。この分野のreviewの中ではかなり引用されてるし、しっかりしてそうな論文です。

 

背景

動物が探索行動をする際に有する脳内空間表現の研究の中で、はじめてallocentric spatial frameに類する概念を提示したのはEdward Tolmanという人の1948年の研究である。彼は齧歯類における研究の中で、動物が「環境内のオブジェクトを少なくとも2つのランドマークに対する相対的位置として表現」する脳内地図を有しているということを示した。彼の研究以前は、齧歯類は、「自分がどれくらい進み、どちらに曲がるか」という自己中心的な空間表現しか持っていないと考えられていたようである。

この研究以降、動物が探索行動をする際のメカニズムとして、「環境内での自己位置に関する情報に基づく方法」と、「環境内に配置されているオブジェクトの相対的位置関係に基づく方法」があり、それぞれをegocentric representationとallocentric representationと呼ぶことが広く受け入れられている。(うーん抽象的でわかりにくい...。もっとわかりやすい定義は後述。

一方で、これらの空間表現の本質や、いつどのようにしてこれらの空間表現が用いられ相互作用するのか、またそれに関連する脳領域はどこなのか、といった部分は未だ明らかになっていない。このためまずこのreviewでは、動物の行動におけるallocentric representationの働き方、そしてallocentric representationとegocentric representationの排他性・関係性について議論を行う。

また、近年の研究では、「どの脳領域が脳内地図の神経機構を有しているか」というふうに、1つ1つの脳領域にフォーカスしたものが多かった。海馬がallocentric memoryに関与しているというのはよく知られているしコンセンサスあるが、ヒトにおいて海馬があらゆる形のallocentric memoryに必要であると言われているかというと、そんなコンセンサスはない。既存の研究でallocentric taskを用いて海馬の重要性を評価したものはたくさんあるが、そもそも純粋にallocentric representationのみを用いるタスクを開発するのは非常に難しいし、allocentric memoryは脳内の様々な領域によって支えられているという事実もある。つまり、「海馬がやられるとallocentric taskの遂行率が落ちました、だから海馬はallocentric memoryを有しています」という研究は、ツッコミどころ満載だ、ということを言いたいのだろう。そうではなく、allocentric representationは脳内の「ネットワーク」として表現されているのだ、と筆者たちは考えているようだ。この議論も後述される。

 

allocentric/egocentric representationの定義

定義だ!!やっと定義が来るぞ!!!

ここに来てようやくいろんな用語を定義してくれている。

探索(navigation):目的地に辿り着くために、動き回りながら手に入る様々な"情報"を処理し、戦略を立てながら行動すること。この"情報"というのは視覚的情報のほかに前庭、固有知覚、体性感覚、聴覚など、多種多様な感覚性インプットのことを言う。

これはわかりやすい。この論文を読むに当たっては、我々は「環境の中でどこか特定の場所を目指して動いている」シーンをイメージすべきだということだ。

探索行動をする中で、我々はその環境について徐々に慣れ、その環境についての知識を得ていく(記憶する)。その記憶の過程において、allocentric representationとegocentric representationが定義される。

allocentric representation:空間内に存在する複数の物体が互いにどのような位置関係にあるのかを表した内的表現で、自己の位置とは切り離されたもの。

たとえば、探索行動中に自身がとある目印の前に到着したとき、allocentric representationの記憶を使えば、「ああ僕の目的地はこの目印と別の目印の間らへんにあって、2つ目の目印から2/3くらいの距離に、方角的には1つ目の目印から30°ずれたところにあるなあ」という具合に目的地に辿り着くことができる。しかし、これは別に必ずしもallocentric representationを使わなくても達成可能である。たとえば、egocentric memoryに基づいて「この景色が見えた時、目的地は現在の視界から右側に30°の方向に50m進んだところにあるんだったなあ」と決めることができるのである。

ところでegocentric representationの定義がされてないじゃないか、と思うのだが、どうやらこのreview内では定義されていないようだ。その代わり、「こっちのreviewも読んでね」とリンクが貼ってあった文献内に定義が書いてあった。

egocentric representation:環境内の各々の物体を、自己から見たと物体への距離と、自己から見た物体への角度の2つの要素で表したもの。要は自分中心の極座標系。

(c.f.) Wolbers, Thomas, and Jan M. Wiener. "Challenges for identifying the neural mechanisms that support spatial navigation: the impact of spatial scale." Frontiers in human neuroscience 8 (2014): 571.

(この定義はわかりやすい。これ書いてくれればいいのにと思う。)

さて、目的地に辿り着くためにallocentric representationもegocentric representationも使えるということがわかったわけだが、我々はどちらを主に使っているのだろうか。もしかすると、両方使っている場面がほとんどなのかもしれないし、2つを排他的に使い分けているのかもしれない。この疑問について考える前に、もう少しallocentric representationについて深く把握してみよう。

 

allocentric representationの特性と評価方法

allocentric representationは脳内地図と同等に考えられがちだが、果たして地図と呼べるほど高精度なものなのだろうか。中には、ユークリッド計量空間のような厳密な距離と角度で表現される空間表現だと考える人もいたようだが、実際はそんなことはない。過去の報告では、その人の有する経験や事前知識、現在の視界に見えているもの(egocentricな情報)などによって、allocentric representationが影響されるということが既に言われている。

allocentric representationを用いた探索行動の一例として時々取り上げられるのが、経路統合(path integration)である。これは、自身が移動した距離や方向を用いて空間内の物体の位置を特定する方法である。経路統合を用いる有名な例としては、子供と離れ離れにされた母親モルモットが、自身の子供を見つける際に、最初は色々な道を行ったり来たりしながら迷って子供のもとに辿り着くが、2回目はまっすぐに子供のもとに迎える、というものがある。経路統合についての研究ではよく三角形決定課題(三角形の2辺の上を参加者に歩かせた上でスタート地点に戻らせる課題)が用いられているが、実際のところこの実験方法だと「自分が進んだ方向と距離をトラックしておいて、ベクトル計算的に現在の自分から見たスタート地点の方位・距離を予測する」というegocentricな戦略も成立してしまう(下図)。しかも、純粋な経路統合では他の環境内ランドマークに依存した空間表現を作成しないため、allocentric representationを用いているとは言えないのである。

しかしながら、経路統合課題は環境内ランドマークなしではかなり誤りが多くなることも知られており、ランドマークが豊富にあると経路統合課題の成績が上昇するという報告もある。こうしたランドマークの情報を用いた経路統合時には、ランドマークのegocentricな位置情報に基づいたallocentricな空間把握過程が含まれているのかもしれない。こう考えると、経路統合課題1つをとっても、その課題設定方法と課題解決方法によってallocentric representationとegocentric representationのどちらを評価できるのかが違ってくるし、むしろ基本的には両者の混合を見ている可能性が高いと思われる。

Allocentric representationのテストのために用いられがちなMorris Water Maze課題も、実のところ本当にspatial representationが必要かどうかすら怪しい。というのも、実験空間がかなり小さいため、単一の視点でとらえられる情報を用いて解決可能な課題なのである。このため、単純な視覚運動戦略・視野合わせに基づいて解決できてしまう。

以上の議論からわかるように、allocentric representationを評価しようにも、空間のスケールや、与える課題がegocentric representationで解決できてしまう可能性について、もっと詳細に評価しなければならないのだ。

 

純粋なallocentric representationを評価できるタスクはあるのだろうか

いくつかのreviewにおいて、ヒトの空間記憶は基本的にegocentric representationが優位であり、allocentric representationを用いるのは、空間の幾何学的特徴(部屋の角や壁など)に基づいた表現くらいであると指摘されている。とある研究では、被験者たちが部屋の中の複数の物体の位置を覚えたあと、部屋が暗くされ、被験者たちは回転によってdisorientされた。すると、被験者たちは自分がどの方角を向いているのかわからなくなり、加えて物体の相対的位置関係もまったくわからなくなったなった。一方、暗い部屋の中で、1つだけライトが照らされているようにすると、依然物体の相対的位置関係はまったくわからなかったが、自分がどの方角を向いているのかはしっかりわかるようになった。以上から、物体の位置関係の記憶についてはegocentric representationが優位であると主張されている。一方で、ライトがない環境の中でも、被験者たちは部屋の角の位置関係はしっかりと示すことができた。ここから、空間の幾何学的表現はallocentric representationで把握されている、と主張されている。

こういった研究で重要なのは、被験者たちが頭の中で用いている戦略が何なのか(egocentric / allocentric representationのどちらをを用いているのか)を考察することである。たとえば先ほどの研究の中では、被験者たちに単純に現在の視野と向きに基づいて物体の位置を質問している。これをSOP (scene and orientation dependent pointing) taskと呼ぶ。一方で、(少なくとも2つの)外的ランドマークを意識的に参照しながら物体の位置を決定することを、JRD (judgements of relative direction) taskと呼ぶ。とある研究では、disorient後に物体の位置関係を答えるのにSOP-like taskを用いると成績が悪いが、JRD-like taskを用いると成績が改善したことを示している。結局のところ、被験者たちが内的にどのような戦略で問題を解決しようとしているのかによって実験の結果は異なるのだ。表面上は、SOP taskとJRD taskはそれぞれegocentric representation、allocentric representationを用いたタスクと考えることができるが、各々のタスクにおいて逆の空間表現を用いて課題解決をすることも論理的に考えれば可能である。つまり、各タスクの解決に用いる空間表現はオーバーラップしており、どちらの空間表現を優位に用いるタスクなのか、という違いがあるだけなのかもしれない。純粋にallocentric reresentationを評価したければ純粋なJRD task(そんなものがあるのかは知らないが)を用いて評価すべきなのだが、これを意識的に実験デザインに組み込まないと、実験結果の解釈が曖昧になってしまう。

もう1つ重要な点は、環境のスケールである。とんでもない大きな空間を実際に歩き回って学習するのと、ほとんど部屋の環境が一瞥して記憶できてしまいそうな小さな部屋の中の物体の配置を学習するのでは、使う戦略も異なるだろう。

 

純粋にegocentric / allocentric representationのどちらかが働く場面は存在しないのではないか

純粋なegocentric / allocentric representationを評価できる状況はほとんど存在しないのではないか、と主張したモデル研究がある。この研究は、頭頂葉皮質で保持されるegocentric representationと内側側頭葉で保持されるallocentric representationが、脳梁膨大後皮質で相互の座標系の変換を行う、というモデルを仮定し、脳梁膨大後皮質が脳内地図を各時点での個人の視点にalignしていると想定した。このモデルに基づけば、脳梁膨大後皮質の機能がある限り、egocentric representationとallocentric representationは組み合わされて機能しており、純粋にどちらかを評価するのは難しいのではないかと考えられる。

ではこのように考えるのはどうか。egocentricとallocentricは分離できるものではなく、脳内では両者のハイブリッドが機能しているのではないか、と。しかし、この考え方は反論できる。ハイブリッド空間表現を仮定すると、特定の領域の脳損傷はallocentricとegocentricどちらかの選択的な機能低下を引き起こすとは考えにくいわけだが、実際のところ多くの行動学的研究では、特定の脳領域の損傷によってegocentric / allocentricどちらかに偏位した機能低下がみられているからである。

結局のところ、妥協案なのかもしれないが、基本的に探索行動においては、allocentric representationとegocentric representationは相互作用またはオーバーラップしつつも、状況によってどちらかに偏重した空間表現が使用されると考えるのがよいのかもしれない。

 

allocentric representationの神経機構

抽象的な話ばっかりで疲れた...。

まず、齧歯類でもヒトでも、allocentric memoryは海馬で保持されている、というのはコンセンサスのある話である。これは多くの場合lesion study(つまり特定の脳領域の損傷がどのような機能低下を及ぼすかという研究)で実証されてきている。

しかし、齧歯類やヒトの研究において、海馬が損傷されていても、いくつかのallocentric representationの記憶は保持されていることが示されている。たとえば、両側海馬の損傷のあるヒトにおいて、数十年前に経験した空間配置の記憶がほとんど保たれていたことが報告されている。

ヒトのfMRI研究においては、海馬ではなく海馬傍皮質の重要性が示唆されている。バーチャル空間内で迷路を探索した後その迷路の地図を描かせた研究では、海馬ではなく海馬傍回の活動がみられた。ほかの研究でも、環境内での意思決定について、自己の視野に基づいて行われる場合と、他のランドマークを参照して行われる場合を比較し、ランドマークを参照する場合に海馬傍回の活動性が高まったことを報告している。海馬傍回の損傷によって、人間版Morris Water Maze課題の成績が落ちたとする報告もある。

上記研究からはallocentric representationにおける海馬傍回の重要性が示唆されるわけだが、先述したように、egocentricとallocentricを分類して評価するのは難しい。しかしながら、海馬傍回が空間表現の記憶の想起に関わっているということ自体は広く受け入れられている。たとえば海馬傍回後部のPPA (parahippocampal place area)と呼ばれる部位は、景色に特異的に反応し、同じ景色でも視点によって異なった活動性を示す。ここから、PPA含め海馬傍皮質はegocentric processingに重要なのではないかとする主張もあるようだが、別の研究では景色に関する意思決定の中でも他の物体を参照しながら行う場合に特に強い海馬傍皮質の活動性がみられたことから、allocentric processingへの優位な関与を提唱している。

脳梁膨大後皮質も空間表現に重要とされている。特に、先述した通り、egocentric representationとallocentric representationの相互変換に重要と考えられている。ある研究では、空間内の物体配置を学習する際に、そのallocentric knowledgeが多いほど脳梁膨大後皮質のBOLD signalが高くなったことを示し、脳梁膨大後皮質はegocentric-based informationをallocentric-based mapに変換する機能を持っているのではないかと提案した。

空間表現に海馬傍回・脳梁膨大後皮質が関与している一方で、海馬があまり重要でないように見える研究が多くあるわけだが、ここには実験デザインの問題があるのかもしれない。実際、空間情報を異なる時間間隔にわたって保持しなければならないとき、海馬の寄与が重要になってくるとする研究が複数存在する。言い換えると、空間内の物体配置を記憶し、それを時間的に離れた複数の試行に応用するような場合に海馬が用いられ、逆に同一の試行の中で繰り返し十分な情報が提示されているような場合には海馬傍回が用いられる、ということである。ある研究では、仮想的な都市の航空写真を用いて、中心的ランドマークに対する複数の店舗の位置を学習させ、各試行において、ある店舗または中心的ランドマークから別の店舗への探索行動を行わせた。この際、店舗は必ず中心的ランドマークとともに現れるようにした。中心的ランドマークから目的店舗への探索行動を行わせる際は海馬傍皮質と脳梁膨大後皮質の活動が見られたが、ある店舗から別の店舗への位置関係を推測させる際には、海馬の活動がみられた。また、別の研究では、海馬に損傷を受けたが後部海馬傍回には損傷を持っていない患者を対象に、人間版Morris Water Maze課題を行ったところ、1つの位置を記憶することはできたが、複数の位置を記憶することはできなかった。これらの研究は、海馬が試行間で異なる位置を想起・推測するような時空間統合を必要とする場合に重要で、一方海馬傍回はもっと単純で具体的なallocentric spatial memoryに関与しているということを示唆している。

 

allocentric representationを保持するネットワーク

これまでの議論をまとめてみると、allocentric representationを保持する神経機構として、まず下記2つの仮説が挙げられる。

1つは、hierarchical modelである。これは、海馬をピラミッドの頂点と、すなわちallocentric representationの源と考え、海馬傍回や脳梁膨大後皮質をその下流に存在するものと捉える考え方である。この考え方だと、海馬が全ての種類のallocentric representationに必要と見なされてしまうため、いくらかの研究結果と矛盾が生じる。

2つ目は、additive modelである。これは、海馬や海馬傍回、脳梁膨大後皮質が、それぞれが加算的な機能を持ちながら相互作用することでallocentric representationができあがると考えるネットワークモデルである。このモデルでは、海馬がallocentric representationの主要な機能を有し、海馬傍回が風景情報の処理を、脳梁膨大後皮質がallocentric representationをegocentricな方向情報とalignする処理を担う、という機能分担を仮定している。ただし、単一の機能を単一の脳領域が担っていると考えるのは、脳内で起きている複雑な動的処理を考慮した際にはいささか単純化しすぎなようにも思える。

An external file that holds a picture, illustration, etc.
Object name is fnhum-08-00803-g003.jpg

そこで、3つ目に筆者達が提唱するのが、non-additive modelである。このモデルでは、各脳領域に特定の機能を期待せず、ネットワーク全体でallocentric representationが形成されていると考えるモデルである。このモデルはあまり議論されてきていないが、示唆的な研究がいくつか存在する。ある研究では、タクシードライバーに、バーチャル空間に表現されたロンドン市街で目的地に辿り着くための経路設計を考えてもらったところ、海馬、脳梁膨大後皮質、前頭前皮質を含む複数の領域の活動が認められた。また、別の研究では、ヒトが環境内で場所や方位、物体との位置関係をそれぞれ想起する際に、海馬、海馬傍回、脳梁膨大後皮質を含む複数の領域が同時に活動したと報告している。これらの研究からは、allocentric representationを用いる際は、異なった脳領域にまたがるネットワークが活性化され、このネットワークは機能面で個々の脳領域に分割することができないということが示唆される。その他にも、fMRIで海馬を含む複数の脳領域の結合性を調べた研究では、その結合性が高いほど時空間記憶の成績が良かったことが示されており、単一の脳領域の機能ではなくネットワークとしての統合機能が正確な記憶想起に重要であることを提唱している。

また、中枢神経の神経ネットワークのアナロジーとして用いることができる縮退性ネットワーク(degenerate network)は、単一または複数のノードの除去にも頑強な機能を持ち、これは単一の脳領域の損傷で起こる高次機能の「代償」の概念と合致する。縮退性とは構造的に異なる要素が同じ機能を果たすことを意味するが、構造的に異なる要素が異なる文脈で異なる出力をすることがあるため、同一の要素が同じ機能を果たす場合に生じる冗長性と区別して扱われる。なお、本文献には書かれていないが、ラットの研究では海馬、視床前核、脳梁膨大後皮質、後部頭頂皮質など多くの領域でallocentric representationの構成要素である頭位方向細胞が見つかっており、これもallocentric representationにおける縮退性ネットワーク構造を示唆すると思われる。

 

結論

・純粋なegocentric representationとallocentric representationを抽出し評価する実験条件の作成は極めて難しい。さらに、環境の特性や、個人ごとによって、同じような実験条件でも用いる空間表現が異なる可能性すらある。

・allocentric representationの責任脳領域は複数の領域にわたり、行動学的研究や損傷研究の結果を踏まえると、ネットワークモデルを用いた方がより良い説明ができる。

・ネットワークモデルとして、2つの提唱を行った。1つはadditive modelで、個々の脳領域からの加算的な計算により、allocentric representationが現れると主張するものである。一方、non-additive modelとは、相互作用する複数の脳部位に共通する非加法的な計算によって、allocentric representationが生み出されると主張するものであり、筆者達はこちらを支持している。

 

感想

一部を除いてすごい抽象的な話だったなー...。

1つ1つの研究を理解しながら複数の研究に共通している結果を抽象化するのってすごい大変だと思うし、言葉遣いにもすごく気を使うと思うので、著者たちはめちゃくちゃ苦労したんだと思います。僕がこの分野の初学者なこともあり、たぶん半分も理解できていません。大まかに主張したいことはわかるんだけど、背景が膨大すぎて...。

高次機能はネットワークで捉えるべきだという主張はすごくよくわかりますし、こうした主張を前面に押し出した記述って教科書で見かけることがあまりないので、その点では読めてよかったかなと思います。

あと、用語の定義もスッキリしましたね。その上で、allocentric representationとegocentric representationの両者が行動学的に分離できない可能性に触れてくれたので、いろんなlesion studyやfMRI studyを読んでいてモヤモヤしていたところが少し解決された気がします。

 

少し気になったのは、non-additive modelを支持する根拠がけっこう薄くないか?というところです。もちろんこのブログ内で省略した論拠部分もありますが、読んでてあまりnon-additive modelのadditive modelに対する優位性を実感できませんでした。ただし、チラッと書いてあったことから推測したりすると、non-additive modelだからといって各脳領域に特有の機能がないということではなく、ある程度の機能分担(海馬が時空間結合のために各脳領域から必要な情報を取り出したり交換したりする)があるのは容認されているようです。0か1かで考えちゃいけないようですね。

 

ところで、英語で読んで理解した概念を日本語に書き直すのってすごい難しいですね。英語理解の中枢と日本語理解の中枢と、その相互変換を行う概念中枢みたいなものがあるとして、このブログを書いている間はその概念中枢がフル活動していたんじゃないかと思いました(適当)。